「タイトル未設定」

きっとシャングリラだよ

映画『忍びの国』貴方の名前は?【感想】

気を取り直して映画感想いってみましょう。今回はこちら。どん。

 

忍びの国』 監督:中村義洋 主演:大野智

 

今まで感想を書いた作品は全てこの沼に落下後、つまりは「嵐」を私が認知してから視聴した作品ですが、今回はそれ以前に、劇場で見た作品になります。ですので、今までは超初心者の感想でしたが、今回ははっきりと、ジャンル外者の感想ということになります。

「ジャニーズに詳しくない人の意見聞くの楽しいよ!」って言ってくださる方もいらっしゃるので(ありがとうございます…皆様の優しさに生かされています…)せっかくですので、前半は映画の内容構成演出その他もろもろについて、後半は素直な「ジャンル部外者にとってこうでしたよ」という意見、にしたいと思います。ですので、お好きなところまでお読みいただければと思います。

 

※原作未読です。ご了承ください。あとラストや核心に直に言及するのは避けますが、視聴後にお読みいただくことをおすすめします。というか見て……ほんと……どっかでネタバレを踏む前に見て……お願いします……

 

 

というわけで前半戦です。

 

要するに「人間らしく生きる」ってなんだろうねって話だったんだろうなと思うんですよ。

伊賀の忍びは虎狼の輩、人ではない、というのが基本軸なわけですが、じゃあ何をもって人でなしとするのかっていうのって一言では言えない気がしていて。
あの人ら生活はあんなんですけど、別に進んで人殺し自体が楽しい!ってわけでもないし(川で盛り上がるのとか単純にエンタメが残酷さを上回っているだけであって)、お金が欲しいのとかもそれ自体はイコール楽がしたいとか普通に人間的な心の動きだと思うし、無駄死にするよりは逃げて生きてたいのとか普通に普通だし、うんまぁなんていうかなぁ、そんなに単純なもんじゃないよなぁと思うんですよ。

そんでぐるぐると考えてたんですけど、とりあえずここは確かなんじゃないかなぁって一つ言えるのは、「彼らは一個人として人から識別される習慣がない」ということなんだろうと。「一個人として尊重される習慣がない」と言ってもいい。

次郎兵衛が死んでも親が何も悼まなかったのは次郎兵衛が「次郎兵衛」「私の息子」ではなく「1人の下忍」であったからで。小競り合いで死人が出てもそれは誰それではなく「1人の下忍」だからそのへんに積んでおけば良くて。そういうのがずっと根底にある。職業柄そりゃあそうだっていうのはあるんですけどね。個人として識別されてはいけないお仕事なわけで……

そんでもって、我らが無門殿も、もちろん強いやつとして一目置かれてはいるんだけど、別に扱いが特別になるわけでもなくて、普通にカウントが1でしかないんですよね。それに彼は売られてきた子ってことで忍びの国の中でもだいぶ下層にいる子なわけで。生まれたときから個人扱いをされてきていない。

暫定的に「一個人として尊重される」ことをざっくり「人権」と呼びましょう(一般的な「人権」の定義は一旦横に置いておきます)。これを軸に考えると、「忍びの国」っつーのはだな、人権が著しく奪われている人がその事実に気づくお話なんだというふうにね、お姉さん思うのよ(何の口調だ)

 

やっぱり物語の軸として無門殿と対となるのは平兵衛だと思うんですけど、私は人権について考えるときには織田信雄くんのことを考えないといけないと思うんですよ。なぜなら信雄くんも形は違えど人権がなかった男の子だと思うから。

信雄くんはきちんとした家に生まれきちんとした地位を持ち、それは恵まれているんだけど周囲は全然「信雄」自体のことはなんというか、認識してないんですよね。家とか、親とか、人は信雄くんのことを見ているときその向こう側に別のものを透過して見てる。そして信雄くんはそのことをよく知っている。

彼が泣きながら崩れ落ちてそれが表面化したとき、家臣たちはやっとそこにいる「信雄」を、なんというか、「発見」する。そしてその向こうに見える何かではなく「信雄」その人のために、やってやろうじゃねえかと立ち上がるわけですな。熱いね。

つまりは信雄くんが一つのモデルケースなわけですよ。人権の喪失→その自覚→人権の復活っていうね。

ひるがえって無門殿はどうかっていうと、どうやら無門には自分の人権がやべぇことになってるっていう自覚はないっぽいんだな。そういうもんだと思っている。特に問題も感じてないし、信雄くんみたいに悩んでもいない。そして何も起きなければそのまま彼は1人の名無しの下忍としてある日ふいっと野垂れ死んでいたことでしょう。

それがさぁ、お国殿と出会って(お国殿は極めてまっとうな人権感覚を持った大人です)、戦という表舞台に引っ張り出されて、大膳に認識されて、平兵衛に仇として強い感情を向けられて、どうも無門殿は名無しの一人の下忍ではいられなくなる機会が激増するんですな。他の誰でもない無門でなければならない理由が増える。なんだか何かがおかしいなぁという違和感が積もるその果てに、「貴方の名前は?」という問いが降ってくる。

名前って、個人識別の基本だと思うんですよね。そこでやっと無門は自分を見つめようとして、自分を「発見」するというか、いや違うな、尊重されるべき自分がそこに存在しないことをやっと自覚する。そしてそれは「かわいそう」なことだと教えてもらう。そうしてやっと無門は人間として生きるためのスタートラインに立てる。

 私はこのあと伊賀を離れた無門は、信雄くんと同じコースできちんと人権を取り戻して人間になれたんだろうなって思うんですけど、なにを根拠にそう思うかっていうと、彼がネズミくんを拾いに戻ってくるからなんですよね。きっとあのときの無門にとってネズミは1人の死んだって仕方がない子供ではなく、あの時にお国殿が声をかけた、他の誰でもない子だったんだと思うんですよ。人間たる無門には自分も他人も替えのきく何かではない。

私はこれ見終わって「ブラック企業の話やん……」って思ったんですけど、人でなしの血が国中に散って子孫の血に流れているのなら、その弊害の根本はこういう人権がすり潰されているところから始まるんだろうなぁと、そんなことを思いました。

ということは置いておいて、私が見終わって一番最初に思ったことは、「大野智のファンは推しでこんなに最高の映画を作ってもらえたのか????羨ましすぎるな??」ということでした。細かいこと抜きでももうアクションとテンポの良さだけでも十二分に楽しめるし、画とセリフはいちいちかっこいいし、どんでん返しの連続だし、お芝居は最高でどのキャラクターも最高に憎めなくて愛おしいという、超いい映画でした。

 

ここからはおまけの後半戦です。

細かい好きなところの話をしつつも議題は「ここがもうひとこえ頑張って欲しかった忍びの国マーケティング」です。個人的な意見です。だいぶ愚痴です。かなり愚痴です。読みたくない方はここでご退席をお願いします。お互いのためです。

 

 

 

私はくやしいんだよぉ~~~~~なんでかってこの映画まだ刺さるべき人のところまでまだまだ届いてないと思うんだよぉ~~~~~~~じたばたじたばた、という内容になりますので、当時ジャニーズファンでもなんでもなかったし大野担の母からムビチケをもらわなければ間違いなく見に行ってなかったけど、1回見に行ったらそれから自分のお金で2回見て友人3人に劇場に足を運ばせた人間の戯言と思って、ぼんやり読んでください。

 

・予告

予告が…弱い…もう一声…なんとかならなかったのか…
個人的な意見なんですけど、映画の予告に大事なものって「予想外なことが起きそうだという予感」だと思っているんですよ。予想を裏切る展開が待っていそうな予感が欲しいわけですよ。でもそれを演出するのってすごく難しい。だから「あなたは衝撃のラストに涙する!」みたいなひどいコピーがひどいと言われつつ、依然としてはびこっていたりするわけじゃないですか。
その辺が…非常に弱い……というか忍者が戦をする!みたいなのが既に「予想外」要素として見えているせいで、余計に「想定内の「予想外」しか起きなそう」という印象を持たせてしまっているんですよ。伝わるかな……実際の中身は予想外しかない。それは戦の展開もそうだし結末もそうだし「術」もそうだし…ついでに私はあの城を作って焼くシーンのテンポ感が最高に好きです。そういうのをわかってほしかったよなぁ……いっそ「衝撃のラストに涙する…」ぐらい煽っても良かった気がする…だめかな…
あとどうでもいいけどあの予告見た人10人に9人は伊勢谷友介が信長なんだと思うよね(実際は登場すらしないというのに)

 

・主題歌

先に言い訳させてください。私はつなぐが大好きで、untitledコンではあのオーバーチュアで鳥肌が立ったしあそこのためにもBDを全裸待機してるし、映画を見に行った後は思わずカラオケ屋に走ってまだ映画館でしか聞いたことのない曲の歌詞をにこにこしながら追いました。3回目なんて映画館に私しかいなかったからこっそり口ずさんだぐらい。それでも当時みじんもジャニオタじゃなかったときのことを忘れないために勇気を出して書く。当時の私なら、ジャニーズ主演の映画があったら主題歌がジャニーズだった時点でその映画を鑑賞リストから外す。
曲が悪いっていうんじゃない。ジャニーズが嫌いなわけでもない。ただそのマーケティングの姿勢に首をかしげてしまいその映画分の時間とお金を別の映画に優先して回してしまう。当時の私はそうだったし今も5ミリぐらいそう思う。
なんでだよ~ナラタージュもラストレシピも主題歌別だったじゃんかよ~ラプラスの魔女も違うじゃないかよ~~~~~じたばた。
先日のブラックペアン問題もそうですけど、主演センター曲システムを期待したいのはやまやまなんですが、ちょっとじたばたしてしまう点なのでありました。それはそうと大野さんがドセンの曲、主題歌とは別に8382371487282047曲ぐらいは聞きたいので今後とも何卒よろしくお願いします。

 

・対象

制作サイドがこの映画を見せたい層がどのあたりだったのかなっていうのが本当に疑問なんですよ。そのへんが非常にふわっとしていたと思う。女性も楽しめるってなことをいつかのインタビューで聞いたような気もしますが、ちょっと待ってくれと。いやどんな映画であろうとオタクは行くよ。オタクは例えそれが自分の推し以外の部分がどんなにNot for Meだろうが行かずにはいかない生き物だよ。だからそのもう確定している大票田たるオタク以外のところへのプロモーションに方針を振っても良かったんじゃないかなと思うんです。主題歌もその1つ。

個人的にはアクション好き層、歴史クラスタ、特撮界隈あたりに絶対刺さったと思うんですよ。実際私はマッドマックスを見に行った友人の耳元に「知能がいくぶんか高いマッドマックスだと思って行け」とささやくことで3人を動員し、結果的に友をしばらく忍びの国のことしかつぶやかないbotにすることに成功しました(詐欺では?)あと「これが本当の忍者、忍術なんだ!」というような切り口でも良かったかなと思います。道具とか「術」とかきっちりしていたのも魅力だと思うので。私としては届いていない忍たまファンがいるのが惜しい……絶対に開始1分で「あっこれ劇場版で見たやつ……!」って進○ゼミみたいに感動するもん……

なんていうのかな、こう、①必要以上のPRをしなくても来る層と、②来て欲しいけどピンポイントなPRがないと来ない層と、③取り込めたらいいけど優先しない層、みたいなのがあって、じゃあそれはそれぞれどういった人で、どこを最優先しますか、という部分がとっちらかったままプロモーションされている感があった気がします。私は①にあたるのはジャニオタだと思ったんだけど、どうも制作サイドは②や③だと思ったのか?じゃあ①に当たるのは何だ歴史ファンか?と思ったらそうでもなさそうだし、アクション好きか?ってなるには予告が情報不足な感じだし……みたいにどうもこう、そのへんがふわっとしてたような気がします。今どき刺さる層にさえ刺さればあとはその人たちがどんどん拡散してくれる時代なのに……

 

盛大な愚痴になってしまいまして申し訳ありません。映画が最高なのは大前提として、でもやっぱり見る気にさせるって部分はめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。見られなければ何も始まらないから。なんの専門家でもないけれど、実際にこんなに面白くてかっこよくて泣けて興味深くて何度でも見たくなる映画を見逃しかけた人間として、やりようによってもうちょっとこの映画は化けたんじゃないかと、珍しくキツいことを言います。

 

 

 

 

 

 

(楽園が見つからなかった話)

お世話になっております。みなさまお元気でいらっしゃいますでしょうか。

今回は番外。感想でも超初心者シリーズでもなく、その上に嵐さんの話でもない話(関連はなくもないといったら過言なぐらいある)になります。私のブログなんだから好きに使えよ!って気もしますけどね、一応おことわりです。ついでに明るい話でもないです。申し訳ありません。

 

私は嵐に出会って、ジャニオタ界隈やついでにドルヲタ界隈を知るまでにも、時折拡散されて回ってきて見かけるいわゆる「担降りブログ」というのを読む機会が何度かありました。その度に私は「文学だなぁ……」という感想を抱いてきました。
それは一つの恋愛小説というか、ほら、やっぱり人が熱意と怨念(ポジティブな意味も含みます)を持って書く文章って上手い下手関係なく何かしらキラキラしていたりグッとくるものがあったりするものです。だから、正直言って「自分のジャンルではないから」というお気楽な面はあるものの(その対象が自分の大好きなものだったら複雑な気持ちになるのは当たり前だと思います)ドラマやなぁ、なんと趣深い文章だろうかと思ってきたわけです。すげぇな、なにが彼女たちをこうさせるのだろうと。

 

だから、私も書いておこうと思います。聞いてください。先日、大好きなミュージカルのカンパニーが終わりました。

 

それは所謂2.5次元の舞台で、私はこれがはじめての2.5で、ここで3次元への信頼感をガッと上げて流れ流れて今があるのでたぶんこれがなかったらたぶん今も嵐さんにはハマっていません。3年前から毎年1作づつ公演がありました。

こういうタイプの作品で、「おわり」を宣言されることはなかなかないことです。次が作られなかったらイコールそれが終わり。何年も続いていく作品もあれば、そっと1回きりで続編がなく、ファンがいつまでも帰らない人を待ち続けるような気持ちでいる作品もある。でもこのコンテンツはそうじゃなかった。3作目の時点で、これで終了、続編はなし、これは卒業公演です、が宣言された。

他ジャンルの人に聞きたいんですけど、それって幸せなことだと思いますか?どっちがいい?次のコンサートが解散公演って言われるのと、事実上活動休止状態でなんにも音沙汰がなくなるの。ジャニーズJr.って、特に卒業に区切りがなくってそっといなくなっていたりすると聞きましたがそれってどうなんだろう。どんな気持ちになるんだろう。

私は誠実だったと思うんですよ。終了を宣言してくれるってことは。次がいつ来るのか来ないのか、なんで来ないのか、会社のせいだ誰それのスケジュールのせいだお金のせいだファンのせいだ、って疑心暗鬼にならなくてもすむし、それできれいな思い出を汚さないで済む。ついでに、このミュージカルは「このメンバー以外でこれ以上のものはできない」と判断したということです。舞台は役者を変えたって成り立ちますが、それをしないと判断したということです。誰かが欠けるくらいなら、やらない。それはメンバー全員を、カンパニー自体を愛しているファンにとってとても嬉しいことです。
その上、これはただこのミュージカルが終わるということなので、役者さんたちはこれからもいろいろなところで活躍します。私たちはそれを見ることができる。

 

それでもさぁ、やっぱりしんどいよ。しんどい。

 

そりゃあ役者さんにはこれからも会えるかもしれないけれど、私が好きなのは「そのミュージカルをやっている役者さん」だったんだもの。そして私が好きだったのは「その役者さんが生きているミュージカル」そのものだったんだもの。もうその大好きな生き物は私たちの前から姿を消してしまった。それがもう、ひたすらにつらい。

 

ラストはミュージカルではなく、今までミュージカルで歌った歌を歌うコンサートをやってくれた。最高だった。もうあれきり聞けないんだろうなと思っていた3年前の歌をもう一度歌ってくれた。笑顔で手を振ってくれた。しかも歌もMCも、みんな前よりずっと上手くなっていた。楽しくって楽しくって、涙がぼろぼろ出てきた。

特に嬉しかったのは、みんなで歌ったり、ペンライトを振ったりできたところ。ミュージカルは基本的に、静かに座って、黙って見なければなりません。当たり前なんですが。でも、最後はコンサートだから、みんなで手を歌ったり手拍子をしたりできた。3時間以上オールスタンディングだった。

ここは少し特殊なジャンルで、私たちは大好きな推しの名前を口にする機会があまりない。Twitterで推しの名前を鍵なしでつぶやくと、ジャンル内警察に怒られる。信じてもらえないかもしれないけれどそういう世界もあるんです。

だから、今回ステージに向かって、心置きなく大好きな人の名前を呼べて、それが本当に嬉しかった。俺は?と問われて名前を叫んでレスポンスすることができて幸せだった。嵐さんも言うけれど、コンサート会場っていうのはその大好きな人の味方しかいない空間で、それはファンにとっても同じことで。そこにいるのはみんなファンで、それも幸福だった。私たちの大好きな人は、見渡す限りの人に愛されていた。

私たちにとってもラストだったけれど、キャストさんにとってももちろんラストで。彼らが不意に涙ぐみそうになるたびに胸がいっぱいになって、こっちも泣いた。

ずぅっとキャラクターとして、歌って踊ってはしゃいでくれた彼らだったけど、千秋楽の最後にはキャストとしてこの作品と仲間たちがいかに素敵なところだったのかを語ってくれた。もしかしたら、以前の私だったら、そこまで乗れていなかったのかもしれないけれど、私はここのところ、嵐のコンサートを見たり、メイキングやインタビューを見たり、いや、そもそもアイドルを推す上で特有のなんていうんだろう、「人の演技や仕事のバックボーンにある思いや信念やそれらのぶつかり合い」をエンターテイメントとして鑑賞する技術を手に入れてしまっていた。お芝居への思い、仕事へのスタンス、将来の展望、芸能活動で失われる人生の何か。語られるそういうものがじゃんじゃん心に染みてしまって、本当に言葉にならなかった。

帰り道、来る時と同じようにコンサート直前に発売されたミュージカルのCDを聞こうと思ったけれど、上書きしてしまうのがなんだか嫌でやめた。代わりに嵐を聴こうとしたらプレイリストで「楽園」が流れてきた。最高の時間ほどまたたく間に過ぎ去ってく、いつまでも終わらせないで、覚めない夢が見たくて。ずるいよ相葉さん。その通りだよ。あー終わっちゃったってそれでまただばだば泣いた。

 

オタクをやっていて、話したことがある。「私たち、なんでこんなに自分と関係ない人のことで心を乱してるんだろう」

本当にその通りだ。なんでこんなにしなくていいしんどい思いをわざわざしているんだろう。なんでこんなにべそべそ泣いて、時には怒って、時には喜んで。絶対に自分の人生と交差することがない人の人生で、すごくちっちゃいことで、なんでこんなに苦しいんだろう。

いや、でも、とも思う。それが楽しくてこっちはオタクやってるんだよなって。自分の人生1回分以上のわくわくや、驚きや、悲しみや、悩みがほしくて、恋をしているんだよなって思う。でも別にこちらがそういう生き方を選択したわけではなくて、気づいたらありとあらゆるところで恋に落ちていたので、すごく悔しくて、そしてありがとう、という感じだ。

 

これが、そんな私の担降ろされブログです。ここまで読んでくれた人がいたらお付き合いさせてごめんなさいね。さてと、これからどう生きようか。あっ次回はいつもどおり感想に戻ります。そろそろ忍びの国をと考えてます。

 

私に素晴らしい人生をありがとう。もしも何か奇跡が起きて、貴方たちにいつかまた会える日が来たら、絶対に会いに行くので待っていてくださいね。

 

 

【超初心者の】推しとCMと私

どうもこんにちは、今回は書いておきたいことがあったので懲りずに超初心者シリーズです。

 

推しの新CMが決まった。

 

相葉さんの缶チューハイ、二宮くんのビール。すごい。おめでたい。うれしい。
私はできたてほやほやのTwitterで眺めていて知りました。Twitterの趣味垢はこういうとき便利ですねぇ……

私は11月のコンサートから徐々に沼入りした人なので、新CM契約社が決まりました!みたいなタイミングに立ち会ったのはこれが初めてになります。いやもしかしてその間にもあったのかな…?まぁ観測圏に入ったのがこれが初めてっていうことです。

この機会に、CMについて超初心者的に気づいたことがいくつかあったので、覚えていられるうちに書いておきたいと思います。

 

1.うわっ……嵐って、身の回りにいすぎ…?

 

何度も書いていますが、私はここ10年近くTVをほとんど見ていなかったので、自動的にTVCMというのから縁遠い人間です。そのため、嵐のみなさまがどれだけCM契約をお持ちなのかもよくわかっておりませんでした。おりませんでしたが、蓋開けてみたら、ねぇ、すごいいっぱいあるんだね???すごいね????びっくりするぐらい嵐いるじゃん。過去のも合わせたら十分暮らせるよねこれ。

いろいろ漁ってみたものの、「あ~こういうのあったね~」と思えたのは後ほど長々書く1社と、冷蔵庫買うときに見かけた日立と、高校時代、友人とよく待ち合わせに使っていた駅ビル東口の背後の壁にでかでかと広告が貼られていたので覚えていたauぐらいでした。ちなみにauのは5人がほぼ等身大でスーツ着てスマホ持って立って並んでて、その時に初めて「へ~相葉ちゃんが一番背が高いんだなぁ」とぼんやり思ったのは覚えています。高校生の私よ、今すぐ写真を撮るんだ。10年後ぐらいの私が後悔するぞ。

エンタメに関して離島の民のような生活をしていた私はもちろんのことですが、人間はチューニングが合わなければ何も見えません。「興味がない」というのはすごいことです。私は札幌ドームでのコンサートの帰り道の新千歳空港で初めて、嵐がJALのポスターにいることを認識しました。行きの空港利用の間、(いくら乗ったのがANAだったとしても)1度も視界に入らなかったということはたぶんないと思います。私はそれまで見えていても、興味がなかったために「見えていない」ことになっていたわけです。

逆に言えば、それがCMにタレントやら俳優やら歌手やらスポーツ選手やらを使ってもらう理由なわけですよね。タレントで興味を持たなかったら、柔軟剤とか、鼻炎薬とか、湿布とか、目に入ってないかもしれないわけですよ。置いてあっても「見えていない」んですよ。私、しばらく前に朝ごはんをシリアルにしてみようかと思ってとりあえずやっすい地元スーパー自社ブランドのグラノーラ買ったんですけど、これがびっくりするぐらいまずくてですね。こんなもんなのかなぁこれ食べ終わったらやめよう、と思って頑張って食べきったんですけど、せっかくだからね、フルグラさん買ってみたらめちゃくちゃおいしくてですね。やっぱメジャなやつは違うなと思いましたよ。お値段倍ぐらいするけども。こうしてCM効果というものが生まれるわけですね。という気づき。

 

 

2.みなさまの購買力がすごい

 

発表のタイミングに初めて立ち会ったわけなので、相葉さんのチューハイが発表されたときの葉担のみなさまを見たのも初めてだったわけですけど、すごいんですね。買うぞという意志が。今こそ力の見せ所みたいな熱が。何ならチューハイ出る前からアサヒ様推してくぞというパワーが。すごいぞ。

私は2次のオタクも3次のオタクも兼ねていましたが、推しが「自らの本拠地と関係のないCM」(嵐で言えばCDや番宣でない、ということです)に出たのを見るという経験がほとんどありません。なので自分の領域に引きつけて考えると、たぶん2次オタクでいう「コラボが決まった」に感覚として近いのかなと考えます。コラボカフェとか、コンビニとコラボして対象商品買うとファイルもらえるアレ(最近某ドラマもあったけど)とか、ソシャゲのコラボでキャラが別のゲームにお邪魔したりだとか。つまりは「本来のフィールドでないところやもののための、いわゆる「公式」でないところ製の推し(しかし公式認定マークつき)」というやつです。それは新たな供給であり、新たな解釈の獲得であり、新たなファンの獲得機会であり、ときどき地雷です。

でね、何が言いたいかっていうとなんですけど、Twitterをザッピングしてたら、「これでここの商品がたくさん売れたら、他の4人も呼んでこれるかもしれない」みたいな主旨のツイートを見つけてですね、ハッとしたわけですよ。

やっぱりコラボしてもらうからにはね、「俺たちの推しはこんなに人を呼べるんだぜ!」みたいな、「ドル箱だぜ!」みたいなのを相手方に見せつけんといかんと思うわけですよ。次の機会をもらうためには。ついでにそういう評判が別のお仕事につながるためには。ついでに本業もうまいこと回していくためには。その視点がね、今までの私には欠けてたね。うん。

ついでに、そのコラボがとっても良かったときに、その商品を買うのがありがとうの最高の示し方なわけじゃないですか。私はナチュサボンのCM見たときに「今すぐにこれを作った人の住所を教えてくれ、お歳暮を送る」という気持ちになったんですけど、お歳暮は贈れなくてもナチュサボンは買えるわけです。良いと思ったものに合法的にお金が払え、ついでに商品も手に入るわけです。つまり実質タダじゃないですか。(この文章は麦とホップを飲みながら書いているので若干知能に問題があります)

あと、これはぶっちゃけた話なんですけど正直言って案外嵐さんにお金払える機会ってなくないですか……?いやあくまで供給量の割にって話ですよ?CDそこまで高くないし、コンサートは入れるかわかんないし、あと雑誌…?現在私はハマってたジャンルが最終回を迎えてしまい(その反動でこうなってる自覚はちょっとある)オタクとして開店休業状態にあるのですが、イベントや舞台が頻繁にありそして多ステが容易にできる、推しを手に入れるために課金が必要、というジャンルに比べ、供給とお金の比率がこれで良いの……?と不安になる日々を送っているので、ビールぐらい買わせてほしいというのもあります。

反省したよね。もっとね、今後は考えていこうと思いますよ。やっぱりこう、推しを支えていきたいという気力。体力。あと私はファンのみなさまがハッシュタグ使おう!とか良かった番組にお便り出そう!としているのを見てすごく偉いなって思う。見習いたい。やはり好きなものには好きです良かったですって伝えないのは損だ。最終回が来てしまってからでは遅いんだもの。

 

 

3.私が「中の人」だった頃の話

 

先ほど覚えているCMとして挙げた1社の話。私は大学時代、東京の住宅街にある紳士的なドーナツ屋でアルバイトをしていました。察してください。その期間は、相葉さんがそのドーナツ屋のCMに出ていた頃とドンピシャで被っていました。紹介される商品みんな思い出あるもんな。良い思い出悪い思い出とかそこはまぁね、いろいろあるからね。

しかしながら、当時の私はTVをほぼ見ておらず、相葉さんが出ているCMを見た記憶はほとんどありません。あと紙媒体の広告にそこまで多く出てこなかった気がする。パネルとかも、アンテナ的な、店舗限定とかが回って来るお店でもないほんとに小さなとこだったし……普段本当に近くの病院に通う爺さんとおばあさんしか来なくて、カート押したおばあちゃんが「いつもの」とか言って注文してた。この辺はもしかしたら葉担のみなさまの方が詳しいのかもしれないですけど。それで、1つ強烈に覚えているのがある。

そう、それは映画、デビクロくんの公開時期でした。その紳士的なドーナツ屋がかなりでかく協力に入ってて(最近見て某シーンで思わず笑ってしまった)あの時は店頭に映画ポスターのパネルが出たんですよ。確かね、記憶でしかないけど。

あの時のことを強烈に覚えています。当時はクリスマスにセットがあって、あの年はカップケーキだったかな、それとグッズがついていくらみたいなのがあったんですよね。辞めてから○年経ったから時効だと思って言うけど、あの時期って本当面倒くさくて、限定ドーナツは作りづらいわ箱に詰めづらいわ、話聞かないおばさんへの説明はめんどくさいわ、それなのにお客全員におすすめトークをすることを義務付けられるわノルマはあるわ、で本当面倒くさかったんですけど、その年は確かねぇ、マグカップとくまのぬいぐるみかなんかだったの。正直、出ないと思った。これは勧めるの苦労するぞと。

ところがどっこい。瞬時に消えた。とりあえずうちの店はね。予定期間より相当早く終わることになりました。

なんでかって、ポストカードついてたんですよ。相葉くんの。いやでもね、当時はあんまりわかってなかったからね、これでかぁ?みたいな半信半疑感があったんですよ。

ある日、そろそろ上がる時間やなぁと死んだ目でレジに立っていた私の前に、20代前半ぐらいの女性が現れて、クリスマスのカップケーキを買われました。細心の注意を払って箱詰めしているとき、その女性が私に言いました。

「あれ、クリスマスが終わったらもらえませんか」

なんのことか全然わからなかったよね。視線の先に、デビクロくんのポスターのパネル。

マジかぁ、と思ったよね。本屋とかだとたまにあるんですよね、漫画の告知ポスターの類とか。しっかしまぁ、ドーナツ屋でバイトしてて言われるとは思わなかった。ぺいぺいのバイトには保証ができないので残念ながら丁重にお断りしたのですが。これそんなにほしいもんなのかなぁって思ったよね。

今ならその2つはつながるんだ。そして買いに来た人達が何を思っていたのか、よくわかるんだ。あの年のクリスマスセットが予想より早く終わった訳と、あのポスターくださいって言ったお姉さん。ポストカード1枚だけだったけど、あのクマのぬいぐるみ、確か映画のグッズでもなんでもなかったけど、たぶん、みんなそれでも買いに来たんだよね。ありがとうなのか、次もお願いしますなのか、そこのところはわからないけれど。

そして今気づいたのは、紳士的なドーナツ屋で何度見かけていたとしても、当時の私は相葉さんに落ちるなんてこれぽっちも思ってなかったってことだ!わはははは!!人間どう生きようが落ちるときには落ちるのだ!全てはタイミングなのだ!人間いつだってこんな好きな人に出会う季節二度とないのだ!わはははは!

 

長くなりました。そんな、超初心者がCMについて考えたことでした。20日、待ってます。楽しみだなぁ。

映画『青の炎』悲劇は少年の形をしている【感想】

お世話になっております。いかがお過ごしでしょうか。

それでは今回も映画感想いってみましょう。今回はこちら。どん。

 

『青の』 監督:蜷川幸雄 主演:二宮和也

 

一気に時代をさかのぼりましたね。なんていうか全てはここから始まったみたいなのを見てみたかったわけですよ。いやこの前だってあるんですけど、なんていうか二宮くんの巨匠キラーの歴史みたいなもんじゃないですか。やっぱりね、こう、履修しておきたかったわけですよ。

 

※なお原作は未読。圧倒的ネタバレを含みます。個人的には結末を知らずに見てよかったなぁと思う作品なので、見ていない方はブラウザを閉じ即刻TSUTAYAへGOでお願いします。

 

 

 

「僕は、独りで世界と戦っている」

 

名コピーだと思う。本当に、この映画を一言で表すと、これに尽きるんだと思う。

自分は「独り」だと思うこと。自分が戦っているのが「世界」だと思ってしまうこと。戦わなくてはいけないと思ってしまったこと。

それらすべてが、子供でもなく大人でもない「高校生」という生き物であること、そのものなんだと思います。

この映画はありとあらゆる意味で、「高校生」っていうのはどういう生き物なのか、っていうもので。

櫛森秀一くんは頭が良いけれど、悪い子でもあって、でも人に見せるための不良でもなくて、エッチなことにも興味があって、でも女の子にそこまで積極的になれるわけでもなく、友達もいくらかいて、絵が上手くて、でもそこまで熱心でもなく、妹と母さんのことが大好きで、そういう男の子。目指したものは完全犯罪だったかもしれないけれど、ミステリやサスペンスものの典型としての意味で、彼は決してヒーローではない。ただの男の子。

本当は、彼は独りで戦ってはいけなかった。独りで戦うべきじゃなかった。もっと多くの誰かに救いを求めるべきだった。そもそも戦ってはいけなかった。それは彼の役目ではなく周りの大人がすべきことだった。そして彼が戦った相手は世界なんかでは全然なかった。もっとちっぽけで、とるに足らないものだった。うまくいくわけがないんだ。だって勘違いなんだもん。

でもそれを、「独りで世界と戦っている」と思い込めてしまったのが、秀一くんが高校生だった、っていうことなんだろうな。

秀一くんのクラスメイトたちは、何だか事情もわからないなりに必死に秀一くんのアリバイを証明するように刑事さんたちに嘘をついた。彼らは一生懸命に友人を守った。けれどそんなものは大人たちに簡単にすり潰されてしまう。ちっぽけな高校生たち。

そうして勘違いしたまま戦い続けた「世界」の重さに耐えかねた秀一くんは、ふいっと皆の前からいなくなってしまった。実に高校生らしい方法で、逃げないために逃げていってしまった。

なんかもう、彼について是か非かとか、善か悪かとか、倫理とか道徳とか、そういう問題じゃないんだよな。ただ、そういう存在だった、っていう、それだけの話なんだよな。櫛森秀一という男の子がいた。櫛森秀一はこういう男の子だった。それだけ。

 

「少年の存在というのは悲劇にならざるを得ない」って言ったのは宮崎駿だったと記憶していますが、狭い水槽の中で、息苦しく口をぱくぱくさせてる、正論で生きていけないことはわかっているけれど嘘ばかりの大人になってしまうのが怖く、後になってみれば一瞬で過ぎ去ってしまうのに渦中にいる間は今の苦しみが永遠に続いていくように感じる、そういう「あの頃」の悲劇性の美しい標本みたいな映画だと思います。

 

 

演技と演出の話をします。もう全体の雰囲気からしてきらきらと透き通っていて冷たくて静かな、下手に情緒的でもなく、なんていうか水の底みたいな雰囲気がずっとありますよね。人々も景色も。

それからセリフなんかはあんまり説明的ではなく、ただあのガレージを見ただけで秀一くんがどんな人間かわかるような、そういう画がすごいなぁって思う。水族館とか、夜のコンビニとか、洞窟みたいな高校の前の坂道とか、そういうパッと思い出せるような背景がすごいよね。すごいしか言ってないな私…すごい。

なんていうか全然見てないのに言うんですけれど、大野さんはたぶん、スタートからキャラクター性がかっちり決まっていて、彼はこれこれこういう人、それがこんな目に遭うとどんな振れ幅がでてくるか、っていうスタイルの作品にキャスティングされると活きる人で、逆に二宮くんはその人となりをずっと作中時間で一緒に追いかけていって、見終わった頃にああ彼はこういう子だったのか、っていうのがふっと残る、みたいなそういう性質のものにキャスティングされるのに向いてるんだろうな、とふと思いました。なんとなく感覚で言ってるけど。これもそういう作品で。

何がすごいって、お目目なんだよな……きらきらしてるんだけど、なんつーのかな、ああもうここには二度と戻れないんだろうな、っていうような、そういうやべぇ光と見えにくい熱みたいなのがありますよね。刹那的っていうのかな、そういうのが秀一くんという生き物なんだけど。そしてそのままきらきらとしたものを失わないように時を止めてしまうのだけれど。

それから「痛みを置き換える」ための声ね。本当に。最後の好きなものの羅列。あれだけでオートマで涙が出てきそうになるもんね。松浦亜弥ちゃん。最後の絵筆を手にこちらをにらみつける表情だけで5000兆点あげる。

 

悲しく、だからこそ、それでこそ美しい映画です。悲しいっていうことの、若いっていうことの、苦しいっていうことの標本みたいな映画なんだよ、本当に。

 

 

 

業務連絡。Twitterアカウント取りました。ラストレシピ感想、びっくりするほどたくさんの皆様に読んでいただきました。ありがとうございました。今後ともおつきあいください。

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【見た】
ラストレシピ 麒麟の舌の記憶
MIRACLE デビクロくんの恋と魔法
魔王
ラストホープ
世界一難しい恋
青の炎
ぼくらの勇気 未満都市

【見ている】
99.9

 

ドラマ『ラストホープ』貴方はそれを肯定するか【感想】

はい、今回はドラマ感想いってみましょう、どん。今回はこちら。

ラストホープ』2013年 主演:相葉雅紀

 

個人的には本当に面白かったというかめちゃくちゃ刺さり、見終わって1ヶ月近く経ついまだに数日置きに波多野せんせ…とうわごとをつぶやいています。ですが、正直に言って人を選ぶ、刺さる人にはとことん刺さるけどそのゾーンが若干狭めな作品だと思います。

ですので今回は、ラストホープを見ていない人に向けて「ラストホープはこんな人におすすめ!」という切り口で、まず作品の構造をつらつら考えていこうと思います。これこれこういう物語だから、こういう人にこの作品は向いていて、じゃあどういう人には向いていないのか。折しも二宮くんの「ブラックペアン」が決まった今、お医者さんつながりでラスホ見てみようかな、という人がいたら参考にしてください。とりあえず決定的なネタバレを避ける方針でいきます。

 

・「シン・ゴジラ」が好きな人

そもそもシンゴジラ見てないって?見よう。ラストホープはシステムとして巨災対に似ています。各部門のプロフェッショナルが集まってチームを組み、毎回登場する患者さんの状況に対して、彼らが解決に向け議論し動く。これがラストホープの基本の型です。ですのでけっこうな時間が「カンファレンス」に割かれます。

かっこいい白衣の専門家たちがわけがわからない専門的で難しい用語を早口でまくし立てながら次々とパスを回していくのを見つめる快感。停滞した議論が、小さなひらめきからドミノのように走り始めていく興奮。これがこのドラマのツボ、見せ場の一つだと思います。

逆に言えば、よくわからない、それが楽しめないという人には向かないと思います。一つの指標がゴジラ。あれが好き~~~~~って人にはけっこう効くと思います。一応字幕は出してくれたり、「つまり○○ってことですね」とか補足してくれる人がいるので親切設計。

 

・ノベルゲーム、TRPG経験がある人

1つめの項目で示した「基本の型」ですが、実際のところこのドラマは2層構造になっています。1話完結的な基本の型の下に、もう一つの物語がある。巨災対……じゃなかったセンターに集まっているのは、巨災対と同じく癖がある、ちょっと外れた、わけありの人たち。彼らにはそれぞれ過去や自分の生活がある。まぁ当たり前のことですが。例えば憎い相手が瀕死で運ばれてきたら、医者はその人を救わなければならないか?大きな力を持っている分、医者の判断に私情が挟まれてはならないのが世の常識ですが、でも医者だって人間です。思想と事情がある。

それをこのドラマでは、過去編などを用意するのではなく、フラッシュバック的に、「基本の型」の隙間で断片的に見せてきます。それも、時系列通りではなく、6人分。序盤なんて下手をすれば誰の記憶かもわからないレベルのときもある。それを見て、これは誰の記憶か、いつの記憶か、というのを考えて集めていかなければなりません。基本の型は時にフラッシュバックのトリガーとなったり、またはああ過去にこういうことがあったから○○先生はこの時一瞬ためらったのか、逆にあああの時先生がああ言ったのは過去にこんな経験をしていたからか、とつなぎ合わせる場になります。この作業がめちゃくちゃ楽しい。

こういう物語の進行法って、ゲームだとよくある気がするんですよね。あるところに行ったら物語がちょっと読めて、あるアイテムを手に入れたら物語がちょっと読めて、これで全部回収!みたいな。ただ馴染めない人には本当に馴染めないシステムだと思う。めんどくさいな!まとめてやれや!みたいな。えーここが楽しいのに~という人と評価が真逆になるポイントだと思います。

 

・手術シーンが平気

割ときっちり映りますので、ものすごく血が苦手だという人は自己責任で見たほうがいいと思います。逆に大丈夫な人は美男美女が術着で真剣な表情でメスを握る、最新技術に彩られた緊張感あるクライマックスを楽しめると思います。すごいぞ。

 

・こわい相葉雅紀が好き

みんな大好きに決まってるんですけどね、主演の話をしたいのでこういう見出しになってしまったね、しかたないね。
主人公・総合医の波多野卓巳はパッケージとしては穏やかで優しく超マイペースで患者さんに誠実、という人間ですが、実際のところ洞察力と想像力と推理力の鬼だし、自覚してるのか無自覚かわからないけれど人を誘導するのが上手く、これまた自覚的か無自覚か煽り力もべらぼうに高い。ついでに仕事もできる。それを全部「掴みどころがない」という評価で片付けている男です。何を考えているのか、または考えていないのか、はっきり言って視聴者にもよくわからない。こわい。

全然作品見てないのに言うのもなんなのですが、相葉さんの演技の見所は「オンになった瞬間とオフになった瞬間を表情で見せるのが恐ろしく上手い」というところだと思っています。波多野先生もしかり、誰かと腹の中を見せないように喋った後、別れた瞬間のスイッチを切った表情。1度だけ患者さんに対して感情的になった瞬間の、今まで纏ってきた何かが裂けて中身が見えた感覚。

こわい、というのはわかりやすく文字通りこわい、というより(文字通りこわくもありますのでご安心を。クッション殴ったりね)、波多野先生を見ていると何かがゆらぐ、よくわからない、正体不明の何かがそこにいるというこわさです。ついでに正体不明のものがめちゃくちゃ美しいのでなおさらね。美しいものはこわい。自然の摂理です。

あとオープニングの波多野先生はオタクがみんな好きなやつ(主語がでかい)なのでみんな見ましょう。

 

と、今まで見ていない人向けのプレゼンの体で分析と感想を書き連ねてきました。

これらを読んでへぇ、見てみよう!と思った人はぜひどうぞ。ついでにこの作品は医療ドラマであり、ヒューマンドラマでもありますが、そこまで濃く重くしつこく粘度が高く湿度が高い…というタイプの作品ではありません。湿度は低め。全体的に「まぁ大変なこともあるけど、どうしたって人生は続くよね」みたいな方針です。だって、人が死んでも、生きても、仕事をしなければならないのがお医者さんというものだし、2点目でわかるとおり、この物語はいわば「長い後日談」。「大変なことがあっても続いているこの人生」の話なんです。物語の本質がケセラセラ。個人的には物語が自分に合うか合わないかには物語の「湿度」と呼ぶべきものが自分に合っているか、が大切な気がします。ご参考までに。

 

 

さて、ここからはどうしても言いたいことがあるので、見た人向けの話をさせてもらいます。ついでにすごくひねくれた話をしますので、見ていない方、ひねくれた話(?)が苦手な方はここでそっとページを閉じていただけると助かります。

 

 

最初にこのドラマは人を選ぶ、って書いたんですけど、さらにこのドラマはラストの3分間でこれまで選んで見てきた人たちもふり落とす、ハイパーとがったドラマなんですよね。

あれを見てどういう感想を持つかで、けっこう意見が分かれると思うんですよ。正直に言って私はめちゃくちゃモヤった。嫌な意味じゃないです。私はそのもやもやを大事に抱え、考え続け、数日おきにうめき声を上げています。そういうのをくれるお話が私は大好物なので、楽しくうめいています。ううう。

 

要するに、ラストのオチだけでなく、このドラマの軸に「ヒーローの自己犠牲と自由意思」っていう現代の問題があると思うんですよ。

大昔は、強いヒーローが傷つきながら戦って、勝利を収めてみんなを救う!っていうのは無条件に受け入れられてたストーリーなんですけど、現代になるともうちょっと複雑で、ヒーローも悩んでいいんじゃない?っていう時代がやってくる。石ノ森作品あたりが顕著ですが。例えば、強制的にヒーローにされてしまったら?倒すべき敵が自分の愛する人だったら?人を救うために何かを犠牲にしないといけないとしたら?
次の段階に進むとヒーローが悩むだけじゃなくて、それを社会が認めていいのかっていう話になります。例えば今ドラマもやってるモブサイコ100とかもそのあたりの問題の話が視点としてあります。もし彼に力があって、世界を救えるのが彼しかいないとしても、心優しい普通の少年に望まない力の行使をさせて良いのか?子供にそれを強制する社会は正しいのか?突き詰めると少年兵とかの問題が絡んでくる。少年がやる気に満ちていたとしても人殺しはさせちゃだめ。自由意思があればいいという問題じゃない。そういう場合もあるわけで。

それでですよ。文脈的に医者は、そして波多野先生はヒーローなんですよ。常人にはない力を行使して、人を救うわけです。そこで「いや俺はこいつのこと嫌いだから治療しないよ」ってのは基本認められない。でも医者も人間なんだよ、そういうことを考えるときだってあるんだ、疲れるときもある、それでも医者は人を救いたいという思いで頑張るんだよ、っていうのが荻原先生とか橘先生とかなわけですね。悩むヒーローたちです。

でだ、問題は波多野先生です。波多野先生の場合はその上に、ヒーローであることが生まれつき強制されているということ、その力の行使には大きな自己犠牲が伴うということ、さらに社会はそれをどう見るかという問題がかかってくるんですね。

それで、最終的に波多野先生はヒーローであることを選ぶわけです。強制されたからじゃない、これが自分の意志なんだという条件付きで。

 

ちょっと待ってくれという話ですよ。ああ先生は自分の意志で覚悟を決めて決心したんだからそれが一番だね、よかったね、ちゃんちゃん、とはなれないよ。冗談じゃないよ。「社会はそれをどう見るか」がクリアできてないんだよ。なぜなら私がクリアさせないからだ。クリアさせてたまるか。あの移植手術自体のリスクは低いかもしれないけど、そういう問題じゃないんだよ。

あの手術台に乗せられて波多野先生が手術室へ運ばれていくシーン。真っ白な廊下に暖かい陽の光が差して。台を押すのは全幅の信頼をおけるいわば戦友で。あのシーンはとんでもなく美しくて、そしてとてつもなく寂しい。なぜなら、誰も波多野先生を止めてくれなかったからだ。貴方はもうこれ以上そんな運命も責任も背負わなくっていいからどこまでだって逃げろと言ってくれる人が、波多野先生にはいなかったからだ。

もちろん誰かが止めたって波多野先生は断るだろうし、もしも逃げたとしたら先生のことだからずっとそれを背負い続けてしまうのだろうと思う。橘先生も、それをよくわかっていたのだと思う。それでも。それでも。

本人が望まなくったって、貴方はヒーローにならなくていいんだと、わがままに誰も救えなくたっていいのだと、誰かを犠牲にしたっていい、生きる意味なんてなくったって生きてろと、貴方が愛せない貴方でも愛していると、誰かが言ってあげられなかったもんかなぁと、私は思うのです。

 

モンペをこじらせてしまいました。お見苦しい文章、大変失礼いたしました。私はまだまだずっと考え続けるんだろうなぁ、波多野先生のこと。全然わからない。とりあえず言えることはラストホープ最高ってことなので、よろしくお願いします。ブラックペアンも楽しみですね。

 

 

業務連絡ですが、Twitterアカウントとりました。どう運用するかは不透明ですが、もし興味のある方がいらっしゃいましたらお付き合いくださいまし。

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【超初心者が】ジャニーズショップに行ってみた【ルポ】

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか。毎度おなじみ、「untitled」で嵐の皆様にズブった人です。今日もハッピー。

超初心者シリーズなできごとがありましたので体験記を書いておこうと思います。じゃん。

先日、東京のジャニーズショップに行ってまいりました。

 

きっかけは別の推しのイベントが東京都であったこと。

私は現在、東日本の地方民です。外は雪がすごいよ。ですので、東京へ行く際は他に何ができるか?とノルマを考えることになります。イベントは夕方から。朝早くに到着すればその分時間ができます。

そこでふと思いついたのが、TLやらブログやらで時折見かけるアレ、「ジャニショ」というやつでした。

何か知らんが東京とあと大阪、名古屋あと福岡あたりには「ジャニーズショップ」というお店があるらしい。ふむふむ。偏差値の低い私ですが数年前まで東京都民だった身。名前は聞いたことがある気がする。というかまんまやんけ。ジャニーズのショップなんでしょう。たぶん。そこまではわかりましたがそこから先がいっこうわからない。ジャニーズネット見たんですけどお店の場所しかわからんレベルです。直営店なんだろうということはわかるがそもそも何があるんだ。全然わからない。

というわけで、勇気を出して、行ってみることにしました。なんせ、今の私なら、きっとお客になれる。アパレル店にそこのブランドの服を着ていると自信を持って入店できる、なんなら躊躇なく試着もできる、アレと一緒です。普通の人はいつでも試着できるのではないかというツッコミはさておいて、今の私ならただの好奇心によるひやかし見学ではないと胸を張れるのです。行くんだ私!

 

というわけで到着いたしました原宿。表参道。明治神宮。いつも迷うんですよねあそこってなんて呼称すればいいんだ?駅名どれかに統一しません?ちなみにもちろんぼっち。

まぁとはいえ元東京都民。その上神社仏閣好き。故郷のアンテナショップがあったり(お察しください)ついでに元推しの事務所のハコもあったりして(お察しください)、そこそこ土地勘のあるエリアです。えっそんなジャニーズのお店なんてこの辺あったっけ?

ぐーぐるまっぷ様のご神託に従い駅から3分。到着。

 

あっここ知ってる!!!!前通ったことある!!!見たことある!!!!真っ白なやつ!!!でも何のお店か全くわからなかったやつだ!!!

 

アンテナを張っていない人間というのはそういうものです。「これ何だろ、まぁいっか」ぐらいなもんです。いやでもそれにしてもわからないよね!!何なら怪しいハーブ売ってるお店って言われても納得するよね!!マルチとか怪しい宗教団体の事務所って言われても納得するよね!!まぁ実際似たようなもんですけど…(怒られろ)

 

平日の開店30分後なだけあって、特に列はありません。整理券配布とやらもないようです。うっかり入口っぽいところから入りそうになりますがこっちじゃないんですね。横に地下への階段があります。池袋のまんだらけの入口思い出しません?思い出さない、そっか……それでいいんですよ……

 

入ってマス目びっしりの紙ペラと筆記具を取ります。顔をあげるとなんとなく殺風景な空間に女性がひしめいています。壁にびっしり写真が貼ってある。うわーなんだこれは。

何がおちつかないんだろうって思ったんですけど、レジがないのでいわゆる「お店」感がないんですよね。大人の女の人たちが窓のない真っ白な箱の中にいるの、すごい「ヤベェ」場所にいる感じがする。

なるほど、壁に貼られた写真の番号を見て、手元の紙に書いていくわけですね。体育祭の後の廊下と一緒ですね。懐かしいスタイルです。

私は透明人間なんじゃないかってぐらい体育祭の写真に映らない人間だったので大抵買うものはなかったのですが、ここには当たり前ですがめちゃくちゃすばらしいかんじのお写真が並んでおります。とりあえず嵐のエリアを探す。ありました。位置的にはやっぱり壁か……とわからない人にはわからなくていいことを思う。

 

MV撮影時の写真が基本なんでしょうか、お写真。恐ろしく顔がいい…すごい…顔がいい…動画もいいんですけど、雑誌もいいんですけど、やっぱり違うね……何がだ…何かが…

個人的にこういうブロマイドのピントの合わせ方好きなんだよなー実を言うと写真も仕事にしてる人間なんですけど、雑誌の写真って最近もはや顔にしかピント合ってないやつ多くありません?肩はもうボケてるぞみたいな。いやそれもテクニックなんでしょうけど個人的にはもうちょっと深い方が好きです。じっと見てしまう。あっ後ろのお姉さますみませんどきます。うわ顔がいいな…

わかってもらいたいのですが、都会に比べ田舎の人間はこういうものを手に入れる機会がぐっと減ります。蘇る私のありし日のおもひで。お祭りの縁日にやってくるポスターくじ。くじ引きで当たるとジャニーズのポスターがもらえます。当時流行っていたNEWS(いっぱいいた頃)やKAT-TUN(こちらもいっぱいいた)。誰が誰だかわからない上に貼る場所がないけれど、みんなが引いているからと、ハズレの文具をもらえますようにと念じて引く罪悪感。

あの頃の友人たちよ、あの時はごめんな。今、私はジャニーズのブロマイドを買おうとしているよ。それも、お小遣いじゃなく自分で稼いだお金でね。ずいぶん遠くへ来てしまったよ。走り始めてから3ヶ月くらいなんだけどさ。

3次元の推しはいるものの、ブロマイドを手に入れる機会って舞台の物販とか、ネットプリントしかなくて(ジュノンさんありがとう)、だからすごい物量に感動してしまった。ただの紙なんだけど。しかも見本なんだけど。

気が小さいので震える手でMVの5人の集合写真を1枚ずつ、それから自担カッコカリのはずが気づけばカッコガチになっていた相葉さんの写真を震える手で数枚マークします。ちょっと前のなんでしょうけどたぶんPower of the Pradiseかな、ピンでグレーバックでただ立ってて斜め右上ぐらいの位置から撮ってるやつ。ネットの海のどこかで見かけててめちゃくちゃ好きだと思ったアレが、あった。すごい。紙ってすごい。物質を感じる。

紙を携え地上へと戻ります。空いてはいるもののレジ前はさすがに並んでいる。

私にはもう一つほしいものがありました。フォトブックです。近年3次元のうつくしいいきものを推すようになり、前述のようにブロマイドを手に入れる機会も増えたんですが、私は入れるケースを持ってなかったんですよね。量がないのでポストカードを入れる素敵なアルバムに入れてたんですけどサイズがちょっとだけ違うのでサカサカ動いちゃうの。いや100均でも売ってんだろって話なんですけど、なんかせっかくサイコーの推しの写真を入れるのに、まにあわせで特にお気に入りでもないもの買うのってなんか違うなーって気がしてたんですよね。今だよ。買うなら今だよ。

レジで紙を出すと、レジの店員さんが写真を背後の棚から取ってきてくれます。すごい。年賀状仕分けみたい。確認のためにカウンターに全部並べてくれます。うわちょっと恥ずかしい。けど隣のお姉さまのレジの写真の並べ方が盛大すぎて小心者はびびる。そうだよな、その人の全部の時は名前を書け、とか書いてあったもんね。そうやってロラって買う人の方が多いんだろうしね。逆に小心者ですまねぇ…という気持ちに。わりとわさっと普通に袋に入れて渡されます。店の前で静かにきゃいきゃいしている女の子たちの横を、一人そそくさと、離脱。

 

以上。ど素人がジャニショに行くとこんなふうになりました。見かけていた謎の白いビルの真相がわかってよかったです。家に帰ってフォトブ(装丁が良い)に写真を収めながら、あれは夢だったのではなかろうかと思ったりするぐらい、あの窓のない白い部屋はヤベェ非日常の場所でした。

東京はこわいな。でも、いつかまたあの場所に行く機会があったら、今度はブランドの服を着て入るアパレル店のように、もう少し背筋を伸ばして階段を降りようと思います。

 

以下履修記録の更新

【見た】
ラストレシピ 麒麟の舌の記憶
MIRACLE デビクロくんの恋と魔法
魔王
ラストホープ
世界一難しい恋
青の炎

【見ている】
99.9

 

映画『ラストレシピ 』フィクションは呪いだ【感想】

というわけで映画感想いってみましょう。どん。今回はこちら

『ラストレシピ 麒麟の舌の記憶』監督:滝田洋二郎 主演:二宮和也

 

※決定的な部分はぼかすもののネタバレの要素を含みます。映画館で見た人、もしくは見るのを迷っているのでふわっと展開を知っても構わないよ、みたいな人向けです。

 

これね、ほんの少々予告詐欺の感があります。カラー?テンション?が違うの。
だから見に行った人はけっこうな割合で「思ってたんと違う……」みたいな感想を持つんじゃないかと思う。実際私もそう思った。
でも予告ぐらいのテンションで見に行って欲しいという気持ちもあるんですよ……あと語りすぎるとネタバレになるので予告を作りづらいと思う。
そういう「ミステリー」「サスペンス」「ヒューマンドラマ」みたいなジャンルでくくるのが難しい映画だと思います。だからある意味「二宮くん出てるし」みたいなレベルの先入観で見るのが一番なんじゃないかなって気もします。

 


なので一旦以下にあらすじ紹介をしてみるとこうなる。

戦前の満州で、かつてとある日本人のシェフが作り上げたというレシピ「大日本帝国食菜全席」。一度食べたものの味を完全に再現することができる技を活かし、人生の最期にもう一度食べたいものを再現する依頼を請け負っていた天才料理人佐々木充(二宮)は、とある中国人からこの幻のレシピの再現を依頼され…

というところまでしか言えない。いや本当にこういうお話なんですれど、本質のところには全然触れられてない。これはパッケージでしかないんですよね。映画という視点でも実際のストーリーの視点としても。

これ読んだら絶対、ああこれから充はいろいろ料理作ったり試行錯誤してあと食材探し回ったりするんでしょ?美味しんぼかな?みたいに思うじゃん?

しかし充、なんと作中で全然料理作らない。ほんとに。二宮くんもそんなに練習してないって言ってたもんね。作らない。じゃあ何をするのか。


充は人の話を聞くんですね。当時を知る人たちの元を手がかりを探しながら歩き回る。そして話を聞く。聞く。聞く。
みんながそのレシピを作り上げたとある男の話をする。どんな思いでレシピを作ったのか。そこに何があったのか。彼が何を考えていたのか。


それを充は聞く。聞く。それだけ。それがこの映画のすごいところ。聞くだけ。なぜなら彼はそれに対して深く心を動かされる程の感傷を持ち合わせていないから。このレシピ探しだって報酬のためにやってるんですね。お金がほしいから。語られる過去の美しく微笑ましく悲しいしがらみに耳を傾けて、それでも彼が問うのはこれ。
「……で、結局、そのレシピはどこへ行ったんですか?」



一言で言うと、「フィクションの呪い」の話なんだと思った。
すでに予告にもあるんですけれど、「全てが偽り」なんですよ。本当に。レシピうんぬんに留まらず全てが。全部嘘。


そもそも料理、特に彼らが追い求めていた「レシピ」というものにはそもそもフィクションみたいなところがあると私は思っています。生きていくのに必要がない物。
食べないと生きていけないじゃんって言われるかもしれないけれど、でも何と何を一緒にこう調理して、こう盛り付けて……みたいなのってその生きていく範囲を逸脱してますよね。それはエンタテイメントであってカルチャー。私が極端に食事にこだわりのない人間だから余計にそう思うのかもしれませんけど。今日も夕飯をご飯、豆腐、りんごで済ませてしまってすみません……充さんに殴られそうだ。


でも天才料理人山形(西島)はその虚構に、生きていくのに必ずしも必要のないものにとりつかれてしまった。
それも「五族協和」の理想郷を掲げた国・満州で。嘘で塗り固められた舞台の上で、何もかもがフィクションで、お芝居で、おままごとにすぎなかった。


その「フィクションの呪い」みたいなものの残骸として生まれ、金とか人の心とか、そういう「リアル」と折り合いを付けられずにフィクションの怪物に成り果てていた充を抱きしめたのもまた、同じようにフィクションにとりつかれた日々を送った人々が作り上げた壮大なおままごと。

結局、大日本帝国食菜全席の、満州国の、そして山形の。フィクションのために多くの人が不幸になりました。けれど、その傷を癒すことも、フィクションでなければできなかったことでした。


死んだ人は帰ってこないし、何一つなかったことにはできないし、充の呪いはこれからも解けないんだろうけれど、「それでも私はその呪いを受け止めるよ、できたら貴方のとなりに私の椅子を用意してよ」っていう物語のスタンスがけっこう好みです。


いや、よくあるんだけどこういう「人間性に問題のある男が愛を知る」系の話いや人格変わり過ぎかよ!!みたいなのよくあるじゃないですか。そのへんの塩梅が大変良かったです。

 

 

というわけで細部の話をします。

この映画は巨大な叙述トリックの中にあるので、みんなが充に語る話も、本当に真実かなんてわからなくて、みんな肝心なところは話さなかったり、わざと核心を内緒にしたり、誰か特定できないような語り口にしてたりするんですよね。
それを再現VTRするわけで、「ん?こいつ意図的にこのこと話してないな?」とか「あれ、こんな人いたっけ?」「なんか時系列合わないな?」みたいなひっかかりが後でパチンパチンと解答編的にハマるのが楽しいです。そのつくりを理解するまでの前半ちょっとそのひっかかりが気になりすぎるのは否めないけれども。

演技の話。充も山形も、食べた料理の味を分析できる人なんですね。だから一口食べて、黙って考えてるんですね。もぐもぐ。
充が元々口数少ない男なのもあって、沈黙の時間がめちゃくちゃ長い映画です。あんだけ長く映画館のばかでかいスクリーンでアップで表情だけ抜かれて大丈夫な役者さん、そうそういませんよ。すごいんだ、本当に。

火の海、カツサンド、そこにはいない山形と見つめ合う表情。全部、目がセリフ以上にものを言うシーンでした。

西畑くんも良かったですね。派手なシーンはないけれど、逆に難しい役だったと思います。過去と未来の橋渡しを、何重にも重なった役割の中でしていくわけなので、穏やかな暖かいトーンが見事でした。ああこうして後輩さん達を覚えていくよ……

 

余談ですが、映画パンフレットにちょっとした仕掛けがありまして、そのページに至った時、映画のフィクションが急にすとんと手元に降りてくる感覚を味わうことができます。ほんと、鳥肌たったからね私。構成と装丁担当した人に一本取られましたなって感じ。機会があったら手に取ってみてください。


リアルの重みを知りながら、フィクションの怪物として、世の中を斜めに歩いていく充は、どことなく二宮くんとダブる部分がなくもない気がします。超初心者なりに。
スペクタクルはないけれど壮大、しみじみと地味なエモさがある映画です。地味だけど。好きです。