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きっとシャングリラだよ

映画『ラストレシピ 』フィクションは呪いだ【感想】

というわけで映画感想いってみましょう。どん。今回はこちら

『ラストレシピ 麒麟の舌の記憶』監督:滝田洋二郎 主演:二宮和也

 

※決定的な部分はぼかすもののネタバレの要素を含みます。映画館で見た人、もしくは見るのを迷っているのでふわっと展開を知っても構わないよ、みたいな人向けです。

 

これね、ほんの少々予告詐欺の感があります。カラー?テンション?が違うの。
だから見に行った人はけっこうな割合で「思ってたんと違う……」みたいな感想を持つんじゃないかと思う。実際私もそう思った。
でも予告ぐらいのテンションで見に行って欲しいという気持ちもあるんですよ……あと語りすぎるとネタバレになるので予告を作りづらいと思う。
そういう「ミステリー」「サスペンス」「ヒューマンドラマ」みたいなジャンルでくくるのが難しい映画だと思います。だからある意味「二宮くん出てるし」みたいなレベルの先入観で見るのが一番なんじゃないかなって気もします。

 


なので一旦以下にあらすじ紹介をしてみるとこうなる。

戦前の満州で、かつてとある日本人のシェフが作り上げたというレシピ「大日本帝国食菜全席」。一度食べたものの味を完全に再現することができる技を活かし、人生の最期にもう一度食べたいものを再現する依頼を請け負っていた天才料理人佐々木充(二宮)は、とある中国人からこの幻のレシピの再現を依頼され…

というところまでしか言えない。いや本当にこういうお話なんですれど、本質のところには全然触れられてない。これはパッケージでしかないんですよね。映画という視点でも実際のストーリーの視点としても。

これ読んだら絶対、ああこれから充はいろいろ料理作ったり試行錯誤してあと食材探し回ったりするんでしょ?美味しんぼかな?みたいに思うじゃん?

しかし充、なんと作中で全然料理作らない。ほんとに。二宮くんもそんなに練習してないって言ってたもんね。作らない。じゃあ何をするのか。


充は人の話を聞くんですね。当時を知る人たちの元を手がかりを探しながら歩き回る。そして話を聞く。聞く。聞く。
みんながそのレシピを作り上げたとある男の話をする。どんな思いでレシピを作ったのか。そこに何があったのか。彼が何を考えていたのか。


それを充は聞く。聞く。それだけ。それがこの映画のすごいところ。聞くだけ。なぜなら彼はそれに対して深く心を動かされる程の感傷を持ち合わせていないから。このレシピ探しだって報酬のためにやってるんですね。お金がほしいから。語られる過去の美しく微笑ましく悲しいしがらみに耳を傾けて、それでも彼が問うのはこれ。
「……で、結局、そのレシピはどこへ行ったんですか?」



一言で言うと、「フィクションの呪い」の話なんだと思った。
すでに予告にもあるんですけれど、「全てが偽り」なんですよ。本当に。レシピうんぬんに留まらず全てが。全部嘘。


そもそも料理、特に彼らが追い求めていた「レシピ」というものにはそもそもフィクションみたいなところがあると私は思っています。生きていくのに必要がない物。
食べないと生きていけないじゃんって言われるかもしれないけれど、でも何と何を一緒にこう調理して、こう盛り付けて……みたいなのってその生きていく範囲を逸脱してますよね。それはエンタテイメントであってカルチャー。私が極端に食事にこだわりのない人間だから余計にそう思うのかもしれませんけど。今日も夕飯をご飯、豆腐、りんごで済ませてしまってすみません……充さんに殴られそうだ。


でも天才料理人山形(西島)はその虚構に、生きていくのに必ずしも必要のないものにとりつかれてしまった。
それも「五族協和」の理想郷を掲げた国・満州で。嘘で塗り固められた舞台の上で、何もかもがフィクションで、お芝居で、おままごとにすぎなかった。


その「フィクションの呪い」みたいなものの残骸として生まれ、金とか人の心とか、そういう「リアル」と折り合いを付けられずにフィクションの怪物に成り果てていた充を抱きしめたのもまた、同じようにフィクションにとりつかれた日々を送った人々が作り上げた壮大なおままごと。

結局、大日本帝国食菜全席の、満州国の、そして山形の。フィクションのために多くの人が不幸になりました。けれど、その傷を癒すことも、フィクションでなければできなかったことでした。


死んだ人は帰ってこないし、何一つなかったことにはできないし、充の呪いはこれからも解けないんだろうけれど、「それでも私はその呪いを受け止めるよ、できたら貴方のとなりに私の椅子を用意してよ」っていう物語のスタンスがけっこう好みです。


いや、よくあるんだけどこういう「人間性に問題のある男が愛を知る」系の話いや人格変わり過ぎかよ!!みたいなのよくあるじゃないですか。そのへんの塩梅が大変良かったです。

 

 

というわけで細部の話をします。

この映画は巨大な叙述トリックの中にあるので、みんなが充に語る話も、本当に真実かなんてわからなくて、みんな肝心なところは話さなかったり、わざと核心を内緒にしたり、誰か特定できないような語り口にしてたりするんですよね。
それを再現VTRするわけで、「ん?こいつ意図的にこのこと話してないな?」とか「あれ、こんな人いたっけ?」「なんか時系列合わないな?」みたいなひっかかりが後でパチンパチンと解答編的にハマるのが楽しいです。そのつくりを理解するまでの前半ちょっとそのひっかかりが気になりすぎるのは否めないけれども。

演技の話。充も山形も、食べた料理の味を分析できる人なんですね。だから一口食べて、黙って考えてるんですね。もぐもぐ。
充が元々口数少ない男なのもあって、沈黙の時間がめちゃくちゃ長い映画です。あんだけ長く映画館のばかでかいスクリーンでアップで表情だけ抜かれて大丈夫な役者さん、そうそういませんよ。すごいんだ、本当に。

火の海、カツサンド、そこにはいない山形と見つめ合う表情。全部、目がセリフ以上にものを言うシーンでした。

西畑くんも良かったですね。派手なシーンはないけれど、逆に難しい役だったと思います。過去と未来の橋渡しを、何重にも重なった役割の中でしていくわけなので、穏やかな暖かいトーンが見事でした。ああこうして後輩さん達を覚えていくよ……

 

余談ですが、映画パンフレットにちょっとした仕掛けがありまして、そのページに至った時、映画のフィクションが急にすとんと手元に降りてくる感覚を味わうことができます。ほんと、鳥肌たったからね私。構成と装丁担当した人に一本取られましたなって感じ。機会があったら手に取ってみてください。


リアルの重みを知りながら、フィクションの怪物として、世の中を斜めに歩いていく充は、どことなく二宮くんとダブる部分がなくもない気がします。超初心者なりに。
スペクタクルはないけれど壮大、しみじみと地味なエモさがある映画です。地味だけど。好きです。