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きっとシャングリラだよ

ドラマ『ラストホープ』貴方はそれを肯定するか【感想】

はい、今回はドラマ感想いってみましょう、どん。今回はこちら。

ラストホープ』2013年 主演:相葉雅紀

 

個人的には本当に面白かったというかめちゃくちゃ刺さり、見終わって1ヶ月近く経ついまだに数日置きに波多野せんせ…とうわごとをつぶやいています。ですが、正直に言って人を選ぶ、刺さる人にはとことん刺さるけどそのゾーンが若干狭めな作品だと思います。

ですので今回は、ラストホープを見ていない人に向けて「ラストホープはこんな人におすすめ!」という切り口で、まず作品の構造をつらつら考えていこうと思います。これこれこういう物語だから、こういう人にこの作品は向いていて、じゃあどういう人には向いていないのか。折しも二宮くんの「ブラックペアン」が決まった今、お医者さんつながりでラスホ見てみようかな、という人がいたら参考にしてください。とりあえず決定的なネタバレを避ける方針でいきます。

 

・「シン・ゴジラ」が好きな人

そもそもシンゴジラ見てないって?見よう。ラストホープはシステムとして巨災対に似ています。各部門のプロフェッショナルが集まってチームを組み、毎回登場する患者さんの状況に対して、彼らが解決に向け議論し動く。これがラストホープの基本の型です。ですのでけっこうな時間が「カンファレンス」に割かれます。

かっこいい白衣の専門家たちがわけがわからない専門的で難しい用語を早口でまくし立てながら次々とパスを回していくのを見つめる快感。停滞した議論が、小さなひらめきからドミノのように走り始めていく興奮。これがこのドラマのツボ、見せ場の一つだと思います。

逆に言えば、よくわからない、それが楽しめないという人には向かないと思います。一つの指標がゴジラ。あれが好き~~~~~って人にはけっこう効くと思います。一応字幕は出してくれたり、「つまり○○ってことですね」とか補足してくれる人がいるので親切設計。

 

・ノベルゲーム、TRPG経験がある人

1つめの項目で示した「基本の型」ですが、実際のところこのドラマは2層構造になっています。1話完結的な基本の型の下に、もう一つの物語がある。巨災対……じゃなかったセンターに集まっているのは、巨災対と同じく癖がある、ちょっと外れた、わけありの人たち。彼らにはそれぞれ過去や自分の生活がある。まぁ当たり前のことですが。例えば憎い相手が瀕死で運ばれてきたら、医者はその人を救わなければならないか?大きな力を持っている分、医者の判断に私情が挟まれてはならないのが世の常識ですが、でも医者だって人間です。思想と事情がある。

それをこのドラマでは、過去編などを用意するのではなく、フラッシュバック的に、「基本の型」の隙間で断片的に見せてきます。それも、時系列通りではなく、6人分。序盤なんて下手をすれば誰の記憶かもわからないレベルのときもある。それを見て、これは誰の記憶か、いつの記憶か、というのを考えて集めていかなければなりません。基本の型は時にフラッシュバックのトリガーとなったり、またはああ過去にこういうことがあったから○○先生はこの時一瞬ためらったのか、逆にあああの時先生がああ言ったのは過去にこんな経験をしていたからか、とつなぎ合わせる場になります。この作業がめちゃくちゃ楽しい。

こういう物語の進行法って、ゲームだとよくある気がするんですよね。あるところに行ったら物語がちょっと読めて、あるアイテムを手に入れたら物語がちょっと読めて、これで全部回収!みたいな。ただ馴染めない人には本当に馴染めないシステムだと思う。めんどくさいな!まとめてやれや!みたいな。えーここが楽しいのに~という人と評価が真逆になるポイントだと思います。

 

・手術シーンが平気

割ときっちり映りますので、ものすごく血が苦手だという人は自己責任で見たほうがいいと思います。逆に大丈夫な人は美男美女が術着で真剣な表情でメスを握る、最新技術に彩られた緊張感あるクライマックスを楽しめると思います。すごいぞ。

 

・こわい相葉雅紀が好き

みんな大好きに決まってるんですけどね、主演の話をしたいのでこういう見出しになってしまったね、しかたないね。
主人公・総合医の波多野卓巳はパッケージとしては穏やかで優しく超マイペースで患者さんに誠実、という人間ですが、実際のところ洞察力と想像力と推理力の鬼だし、自覚してるのか無自覚かわからないけれど人を誘導するのが上手く、これまた自覚的か無自覚か煽り力もべらぼうに高い。ついでに仕事もできる。それを全部「掴みどころがない」という評価で片付けている男です。何を考えているのか、または考えていないのか、はっきり言って視聴者にもよくわからない。こわい。

全然作品見てないのに言うのもなんなのですが、相葉さんの演技の見所は「オンになった瞬間とオフになった瞬間を表情で見せるのが恐ろしく上手い」というところだと思っています。波多野先生もしかり、誰かと腹の中を見せないように喋った後、別れた瞬間のスイッチを切った表情。1度だけ患者さんに対して感情的になった瞬間の、今まで纏ってきた何かが裂けて中身が見えた感覚。

こわい、というのはわかりやすく文字通りこわい、というより(文字通りこわくもありますのでご安心を。クッション殴ったりね)、波多野先生を見ていると何かがゆらぐ、よくわからない、正体不明の何かがそこにいるというこわさです。ついでに正体不明のものがめちゃくちゃ美しいのでなおさらね。美しいものはこわい。自然の摂理です。

あとオープニングの波多野先生はオタクがみんな好きなやつ(主語がでかい)なのでみんな見ましょう。

 

と、今まで見ていない人向けのプレゼンの体で分析と感想を書き連ねてきました。

これらを読んでへぇ、見てみよう!と思った人はぜひどうぞ。ついでにこの作品は医療ドラマであり、ヒューマンドラマでもありますが、そこまで濃く重くしつこく粘度が高く湿度が高い…というタイプの作品ではありません。湿度は低め。全体的に「まぁ大変なこともあるけど、どうしたって人生は続くよね」みたいな方針です。だって、人が死んでも、生きても、仕事をしなければならないのがお医者さんというものだし、2点目でわかるとおり、この物語はいわば「長い後日談」。「大変なことがあっても続いているこの人生」の話なんです。物語の本質がケセラセラ。個人的には物語が自分に合うか合わないかには物語の「湿度」と呼ぶべきものが自分に合っているか、が大切な気がします。ご参考までに。

 

 

さて、ここからはどうしても言いたいことがあるので、見た人向けの話をさせてもらいます。ついでにすごくひねくれた話をしますので、見ていない方、ひねくれた話(?)が苦手な方はここでそっとページを閉じていただけると助かります。

 

 

最初にこのドラマは人を選ぶ、って書いたんですけど、さらにこのドラマはラストの3分間でこれまで選んで見てきた人たちもふり落とす、ハイパーとがったドラマなんですよね。

あれを見てどういう感想を持つかで、けっこう意見が分かれると思うんですよ。正直に言って私はめちゃくちゃモヤった。嫌な意味じゃないです。私はそのもやもやを大事に抱え、考え続け、数日おきにうめき声を上げています。そういうのをくれるお話が私は大好物なので、楽しくうめいています。ううう。

 

要するに、ラストのオチだけでなく、このドラマの軸に「ヒーローの自己犠牲と自由意思」っていう現代の問題があると思うんですよ。

大昔は、強いヒーローが傷つきながら戦って、勝利を収めてみんなを救う!っていうのは無条件に受け入れられてたストーリーなんですけど、現代になるともうちょっと複雑で、ヒーローも悩んでいいんじゃない?っていう時代がやってくる。石ノ森作品あたりが顕著ですが。例えば、強制的にヒーローにされてしまったら?倒すべき敵が自分の愛する人だったら?人を救うために何かを犠牲にしないといけないとしたら?
次の段階に進むとヒーローが悩むだけじゃなくて、それを社会が認めていいのかっていう話になります。例えば今ドラマもやってるモブサイコ100とかもそのあたりの問題の話が視点としてあります。もし彼に力があって、世界を救えるのが彼しかいないとしても、心優しい普通の少年に望まない力の行使をさせて良いのか?子供にそれを強制する社会は正しいのか?突き詰めると少年兵とかの問題が絡んでくる。少年がやる気に満ちていたとしても人殺しはさせちゃだめ。自由意思があればいいという問題じゃない。そういう場合もあるわけで。

それでですよ。文脈的に医者は、そして波多野先生はヒーローなんですよ。常人にはない力を行使して、人を救うわけです。そこで「いや俺はこいつのこと嫌いだから治療しないよ」ってのは基本認められない。でも医者も人間なんだよ、そういうことを考えるときだってあるんだ、疲れるときもある、それでも医者は人を救いたいという思いで頑張るんだよ、っていうのが荻原先生とか橘先生とかなわけですね。悩むヒーローたちです。

でだ、問題は波多野先生です。波多野先生の場合はその上に、ヒーローであることが生まれつき強制されているということ、その力の行使には大きな自己犠牲が伴うということ、さらに社会はそれをどう見るかという問題がかかってくるんですね。

それで、最終的に波多野先生はヒーローであることを選ぶわけです。強制されたからじゃない、これが自分の意志なんだという条件付きで。

 

ちょっと待ってくれという話ですよ。ああ先生は自分の意志で覚悟を決めて決心したんだからそれが一番だね、よかったね、ちゃんちゃん、とはなれないよ。冗談じゃないよ。「社会はそれをどう見るか」がクリアできてないんだよ。なぜなら私がクリアさせないからだ。クリアさせてたまるか。あの移植手術自体のリスクは低いかもしれないけど、そういう問題じゃないんだよ。

あの手術台に乗せられて波多野先生が手術室へ運ばれていくシーン。真っ白な廊下に暖かい陽の光が差して。台を押すのは全幅の信頼をおけるいわば戦友で。あのシーンはとんでもなく美しくて、そしてとてつもなく寂しい。なぜなら、誰も波多野先生を止めてくれなかったからだ。貴方はもうこれ以上そんな運命も責任も背負わなくっていいからどこまでだって逃げろと言ってくれる人が、波多野先生にはいなかったからだ。

もちろん誰かが止めたって波多野先生は断るだろうし、もしも逃げたとしたら先生のことだからずっとそれを背負い続けてしまうのだろうと思う。橘先生も、それをよくわかっていたのだと思う。それでも。それでも。

本人が望まなくったって、貴方はヒーローにならなくていいんだと、わがままに誰も救えなくたっていいのだと、誰かを犠牲にしたっていい、生きる意味なんてなくったって生きてろと、貴方が愛せない貴方でも愛していると、誰かが言ってあげられなかったもんかなぁと、私は思うのです。

 

モンペをこじらせてしまいました。お見苦しい文章、大変失礼いたしました。私はまだまだずっと考え続けるんだろうなぁ、波多野先生のこと。全然わからない。とりあえず言えることはラストホープ最高ってことなので、よろしくお願いします。ブラックペアンも楽しみですね。

 

 

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