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きっとシャングリラだよ

(楽園が見つからなかった話)

お世話になっております。みなさまお元気でいらっしゃいますでしょうか。

今回は番外。感想でも超初心者シリーズでもなく、その上に嵐さんの話でもない話(関連はなくもないといったら過言なぐらいある)になります。私のブログなんだから好きに使えよ!って気もしますけどね、一応おことわりです。ついでに明るい話でもないです。申し訳ありません。

 

私は嵐に出会って、ジャニオタ界隈やついでにドルヲタ界隈を知るまでにも、時折拡散されて回ってきて見かけるいわゆる「担降りブログ」というのを読む機会が何度かありました。その度に私は「文学だなぁ……」という感想を抱いてきました。
それは一つの恋愛小説というか、ほら、やっぱり人が熱意と怨念(ポジティブな意味も含みます)を持って書く文章って上手い下手関係なく何かしらキラキラしていたりグッとくるものがあったりするものです。だから、正直言って「自分のジャンルではないから」というお気楽な面はあるものの(その対象が自分の大好きなものだったら複雑な気持ちになるのは当たり前だと思います)ドラマやなぁ、なんと趣深い文章だろうかと思ってきたわけです。すげぇな、なにが彼女たちをこうさせるのだろうと。

 

だから、私も書いておこうと思います。聞いてください。先日、大好きなミュージカルのカンパニーが終わりました。

 

それは所謂2.5次元の舞台で、私はこれがはじめての2.5で、ここで3次元への信頼感をガッと上げて流れ流れて今があるのでたぶんこれがなかったらたぶん今も嵐さんにはハマっていません。3年前から毎年1作づつ公演がありました。

こういうタイプの作品で、「おわり」を宣言されることはなかなかないことです。次が作られなかったらイコールそれが終わり。何年も続いていく作品もあれば、そっと1回きりで続編がなく、ファンがいつまでも帰らない人を待ち続けるような気持ちでいる作品もある。でもこのコンテンツはそうじゃなかった。3作目の時点で、これで終了、続編はなし、これは卒業公演です、が宣言された。

他ジャンルの人に聞きたいんですけど、それって幸せなことだと思いますか?どっちがいい?次のコンサートが解散公演って言われるのと、事実上活動休止状態でなんにも音沙汰がなくなるの。ジャニーズJr.って、特に卒業に区切りがなくってそっといなくなっていたりすると聞きましたがそれってどうなんだろう。どんな気持ちになるんだろう。

私は誠実だったと思うんですよ。終了を宣言してくれるってことは。次がいつ来るのか来ないのか、なんで来ないのか、会社のせいだ誰それのスケジュールのせいだお金のせいだファンのせいだ、って疑心暗鬼にならなくてもすむし、それできれいな思い出を汚さないで済む。ついでに、このミュージカルは「このメンバー以外でこれ以上のものはできない」と判断したということです。舞台は役者を変えたって成り立ちますが、それをしないと判断したということです。誰かが欠けるくらいなら、やらない。それはメンバー全員を、カンパニー自体を愛しているファンにとってとても嬉しいことです。
その上、これはただこのミュージカルが終わるということなので、役者さんたちはこれからもいろいろなところで活躍します。私たちはそれを見ることができる。

 

それでもさぁ、やっぱりしんどいよ。しんどい。

 

そりゃあ役者さんにはこれからも会えるかもしれないけれど、私が好きなのは「そのミュージカルをやっている役者さん」だったんだもの。そして私が好きだったのは「その役者さんが生きているミュージカル」そのものだったんだもの。もうその大好きな生き物は私たちの前から姿を消してしまった。それがもう、ひたすらにつらい。

 

ラストはミュージカルではなく、今までミュージカルで歌った歌を歌うコンサートをやってくれた。最高だった。もうあれきり聞けないんだろうなと思っていた3年前の歌をもう一度歌ってくれた。笑顔で手を振ってくれた。しかも歌もMCも、みんな前よりずっと上手くなっていた。楽しくって楽しくって、涙がぼろぼろ出てきた。

特に嬉しかったのは、みんなで歌ったり、ペンライトを振ったりできたところ。ミュージカルは基本的に、静かに座って、黙って見なければなりません。当たり前なんですが。でも、最後はコンサートだから、みんなで手を歌ったり手拍子をしたりできた。3時間以上オールスタンディングだった。

ここは少し特殊なジャンルで、私たちは大好きな推しの名前を口にする機会があまりない。Twitterで推しの名前を鍵なしでつぶやくと、ジャンル内警察に怒られる。信じてもらえないかもしれないけれどそういう世界もあるんです。

だから、今回ステージに向かって、心置きなく大好きな人の名前を呼べて、それが本当に嬉しかった。俺は?と問われて名前を叫んでレスポンスすることができて幸せだった。嵐さんも言うけれど、コンサート会場っていうのはその大好きな人の味方しかいない空間で、それはファンにとっても同じことで。そこにいるのはみんなファンで、それも幸福だった。私たちの大好きな人は、見渡す限りの人に愛されていた。

私たちにとってもラストだったけれど、キャストさんにとってももちろんラストで。彼らが不意に涙ぐみそうになるたびに胸がいっぱいになって、こっちも泣いた。

ずぅっとキャラクターとして、歌って踊ってはしゃいでくれた彼らだったけど、千秋楽の最後にはキャストとしてこの作品と仲間たちがいかに素敵なところだったのかを語ってくれた。もしかしたら、以前の私だったら、そこまで乗れていなかったのかもしれないけれど、私はここのところ、嵐のコンサートを見たり、メイキングやインタビューを見たり、いや、そもそもアイドルを推す上で特有のなんていうんだろう、「人の演技や仕事のバックボーンにある思いや信念やそれらのぶつかり合い」をエンターテイメントとして鑑賞する技術を手に入れてしまっていた。お芝居への思い、仕事へのスタンス、将来の展望、芸能活動で失われる人生の何か。語られるそういうものがじゃんじゃん心に染みてしまって、本当に言葉にならなかった。

帰り道、来る時と同じようにコンサート直前に発売されたミュージカルのCDを聞こうと思ったけれど、上書きしてしまうのがなんだか嫌でやめた。代わりに嵐を聴こうとしたらプレイリストで「楽園」が流れてきた。最高の時間ほどまたたく間に過ぎ去ってく、いつまでも終わらせないで、覚めない夢が見たくて。ずるいよ相葉さん。その通りだよ。あー終わっちゃったってそれでまただばだば泣いた。

 

オタクをやっていて、話したことがある。「私たち、なんでこんなに自分と関係ない人のことで心を乱してるんだろう」

本当にその通りだ。なんでこんなにしなくていいしんどい思いをわざわざしているんだろう。なんでこんなにべそべそ泣いて、時には怒って、時には喜んで。絶対に自分の人生と交差することがない人の人生で、すごくちっちゃいことで、なんでこんなに苦しいんだろう。

いや、でも、とも思う。それが楽しくてこっちはオタクやってるんだよなって。自分の人生1回分以上のわくわくや、驚きや、悲しみや、悩みがほしくて、恋をしているんだよなって思う。でも別にこちらがそういう生き方を選択したわけではなくて、気づいたらありとあらゆるところで恋に落ちていたので、すごく悔しくて、そしてありがとう、という感じだ。

 

これが、そんな私の担降ろされブログです。ここまで読んでくれた人がいたらお付き合いさせてごめんなさいね。さてと、これからどう生きようか。あっ次回はいつもどおり感想に戻ります。そろそろ忍びの国をと考えてます。

 

私に素晴らしい人生をありがとう。もしも何か奇跡が起きて、貴方たちにいつかまた会える日が来たら、絶対に会いに行くので待っていてくださいね。