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きっとシャングリラだよ

映画『忍びの国』貴方の名前は?【感想】

気を取り直して映画感想いってみましょう。今回はこちら。どん。

 

忍びの国』 監督:中村義洋 主演:大野智

 

今まで感想を書いた作品は全てこの沼に落下後、つまりは「嵐」を私が認知してから視聴した作品ですが、今回はそれ以前に、劇場で見た作品になります。ですので、今までは超初心者の感想でしたが、今回ははっきりと、ジャンル外者の感想ということになります。

「ジャニーズに詳しくない人の意見聞くの楽しいよ!」って言ってくださる方もいらっしゃるので(ありがとうございます…皆様の優しさに生かされています…)せっかくですので、前半は映画の内容構成演出その他もろもろについて、後半は素直な「ジャンル部外者にとってこうでしたよ」という意見、にしたいと思います。ですので、お好きなところまでお読みいただければと思います。

 

※原作未読です。ご了承ください。あとラストや核心に直に言及するのは避けますが、視聴後にお読みいただくことをおすすめします。というか見て……ほんと……どっかでネタバレを踏む前に見て……お願いします……

 

 

というわけで前半戦です。

 

要するに「人間らしく生きる」ってなんだろうねって話だったんだろうなと思うんですよ。

伊賀の忍びは虎狼の輩、人ではない、というのが基本軸なわけですが、じゃあ何をもって人でなしとするのかっていうのって一言では言えない気がしていて。
あの人ら生活はあんなんですけど、別に進んで人殺し自体が楽しい!ってわけでもないし(川で盛り上がるのとか単純にエンタメが残酷さを上回っているだけであって)、お金が欲しいのとかもそれ自体はイコール楽がしたいとか普通に人間的な心の動きだと思うし、無駄死にするよりは逃げて生きてたいのとか普通に普通だし、うんまぁなんていうかなぁ、そんなに単純なもんじゃないよなぁと思うんですよ。

そんでぐるぐると考えてたんですけど、とりあえずここは確かなんじゃないかなぁって一つ言えるのは、「彼らは一個人として人から識別される習慣がない」ということなんだろうと。「一個人として尊重される習慣がない」と言ってもいい。

次郎兵衛が死んでも親が何も悼まなかったのは次郎兵衛が「次郎兵衛」「私の息子」ではなく「1人の下忍」であったからで。小競り合いで死人が出てもそれは誰それではなく「1人の下忍」だからそのへんに積んでおけば良くて。そういうのがずっと根底にある。職業柄そりゃあそうだっていうのはあるんですけどね。個人として識別されてはいけないお仕事なわけで……

そんでもって、我らが無門殿も、もちろん強いやつとして一目置かれてはいるんだけど、別に扱いが特別になるわけでもなくて、普通にカウントが1でしかないんですよね。それに彼は売られてきた子ってことで忍びの国の中でもだいぶ下層にいる子なわけで。生まれたときから個人扱いをされてきていない。

暫定的に「一個人として尊重される」ことをざっくり「人権」と呼びましょう(一般的な「人権」の定義は一旦横に置いておきます)。これを軸に考えると、「忍びの国」っつーのはだな、人権が著しく奪われている人がその事実に気づくお話なんだというふうにね、お姉さん思うのよ(何の口調だ)

 

やっぱり物語の軸として無門殿と対となるのは平兵衛だと思うんですけど、私は人権について考えるときには織田信雄くんのことを考えないといけないと思うんですよ。なぜなら信雄くんも形は違えど人権がなかった男の子だと思うから。

信雄くんはきちんとした家に生まれきちんとした地位を持ち、それは恵まれているんだけど周囲は全然「信雄」自体のことはなんというか、認識してないんですよね。家とか、親とか、人は信雄くんのことを見ているときその向こう側に別のものを透過して見てる。そして信雄くんはそのことをよく知っている。

彼が泣きながら崩れ落ちてそれが表面化したとき、家臣たちはやっとそこにいる「信雄」を、なんというか、「発見」する。そしてその向こうに見える何かではなく「信雄」その人のために、やってやろうじゃねえかと立ち上がるわけですな。熱いね。

つまりは信雄くんが一つのモデルケースなわけですよ。人権の喪失→その自覚→人権の復活っていうね。

ひるがえって無門殿はどうかっていうと、どうやら無門には自分の人権がやべぇことになってるっていう自覚はないっぽいんだな。そういうもんだと思っている。特に問題も感じてないし、信雄くんみたいに悩んでもいない。そして何も起きなければそのまま彼は1人の名無しの下忍としてある日ふいっと野垂れ死んでいたことでしょう。

それがさぁ、お国殿と出会って(お国殿は極めてまっとうな人権感覚を持った大人です)、戦という表舞台に引っ張り出されて、大膳に認識されて、平兵衛に仇として強い感情を向けられて、どうも無門殿は名無しの一人の下忍ではいられなくなる機会が激増するんですな。他の誰でもない無門でなければならない理由が増える。なんだか何かがおかしいなぁという違和感が積もるその果てに、「貴方の名前は?」という問いが降ってくる。

名前って、個人識別の基本だと思うんですよね。そこでやっと無門は自分を見つめようとして、自分を「発見」するというか、いや違うな、尊重されるべき自分がそこに存在しないことをやっと自覚する。そしてそれは「かわいそう」なことだと教えてもらう。そうしてやっと無門は人間として生きるためのスタートラインに立てる。

 私はこのあと伊賀を離れた無門は、信雄くんと同じコースできちんと人権を取り戻して人間になれたんだろうなって思うんですけど、なにを根拠にそう思うかっていうと、彼がネズミくんを拾いに戻ってくるからなんですよね。きっとあのときの無門にとってネズミは1人の死んだって仕方がない子供ではなく、あの時にお国殿が声をかけた、他の誰でもない子だったんだと思うんですよ。人間たる無門には自分も他人も替えのきく何かではない。

私はこれ見終わって「ブラック企業の話やん……」って思ったんですけど、人でなしの血が国中に散って子孫の血に流れているのなら、その弊害の根本はこういう人権がすり潰されているところから始まるんだろうなぁと、そんなことを思いました。

ということは置いておいて、私が見終わって一番最初に思ったことは、「大野智のファンは推しでこんなに最高の映画を作ってもらえたのか????羨ましすぎるな??」ということでした。細かいこと抜きでももうアクションとテンポの良さだけでも十二分に楽しめるし、画とセリフはいちいちかっこいいし、どんでん返しの連続だし、お芝居は最高でどのキャラクターも最高に憎めなくて愛おしいという、超いい映画でした。

 

ここからはおまけの後半戦です。

細かい好きなところの話をしつつも議題は「ここがもうひとこえ頑張って欲しかった忍びの国マーケティング」です。個人的な意見です。だいぶ愚痴です。かなり愚痴です。読みたくない方はここでご退席をお願いします。お互いのためです。

 

 

 

私はくやしいんだよぉ~~~~~なんでかってこの映画まだ刺さるべき人のところまでまだまだ届いてないと思うんだよぉ~~~~~~~じたばたじたばた、という内容になりますので、当時ジャニーズファンでもなんでもなかったし大野担の母からムビチケをもらわなければ間違いなく見に行ってなかったけど、1回見に行ったらそれから自分のお金で2回見て友人3人に劇場に足を運ばせた人間の戯言と思って、ぼんやり読んでください。

 

・予告

予告が…弱い…もう一声…なんとかならなかったのか…
個人的な意見なんですけど、映画の予告に大事なものって「予想外なことが起きそうだという予感」だと思っているんですよ。予想を裏切る展開が待っていそうな予感が欲しいわけですよ。でもそれを演出するのってすごく難しい。だから「あなたは衝撃のラストに涙する!」みたいなひどいコピーがひどいと言われつつ、依然としてはびこっていたりするわけじゃないですか。
その辺が…非常に弱い……というか忍者が戦をする!みたいなのが既に「予想外」要素として見えているせいで、余計に「想定内の「予想外」しか起きなそう」という印象を持たせてしまっているんですよ。伝わるかな……実際の中身は予想外しかない。それは戦の展開もそうだし結末もそうだし「術」もそうだし…ついでに私はあの城を作って焼くシーンのテンポ感が最高に好きです。そういうのをわかってほしかったよなぁ……いっそ「衝撃のラストに涙する…」ぐらい煽っても良かった気がする…だめかな…
あとどうでもいいけどあの予告見た人10人に9人は伊勢谷友介が信長なんだと思うよね(実際は登場すらしないというのに)

 

・主題歌

先に言い訳させてください。私はつなぐが大好きで、untitledコンではあのオーバーチュアで鳥肌が立ったしあそこのためにもBDを全裸待機してるし、映画を見に行った後は思わずカラオケ屋に走ってまだ映画館でしか聞いたことのない曲の歌詞をにこにこしながら追いました。3回目なんて映画館に私しかいなかったからこっそり口ずさんだぐらい。それでも当時みじんもジャニオタじゃなかったときのことを忘れないために勇気を出して書く。当時の私なら、ジャニーズ主演の映画があったら主題歌がジャニーズだった時点でその映画を鑑賞リストから外す。
曲が悪いっていうんじゃない。ジャニーズが嫌いなわけでもない。ただそのマーケティングの姿勢に首をかしげてしまいその映画分の時間とお金を別の映画に優先して回してしまう。当時の私はそうだったし今も5ミリぐらいそう思う。
なんでだよ~ナラタージュもラストレシピも主題歌別だったじゃんかよ~ラプラスの魔女も違うじゃないかよ~~~~~じたばた。
先日のブラックペアン問題もそうですけど、主演センター曲システムを期待したいのはやまやまなんですが、ちょっとじたばたしてしまう点なのでありました。それはそうと大野さんがドセンの曲、主題歌とは別に8382371487282047曲ぐらいは聞きたいので今後とも何卒よろしくお願いします。

 

・対象

制作サイドがこの映画を見せたい層がどのあたりだったのかなっていうのが本当に疑問なんですよ。そのへんが非常にふわっとしていたと思う。女性も楽しめるってなことをいつかのインタビューで聞いたような気もしますが、ちょっと待ってくれと。いやどんな映画であろうとオタクは行くよ。オタクは例えそれが自分の推し以外の部分がどんなにNot for Meだろうが行かずにはいかない生き物だよ。だからそのもう確定している大票田たるオタク以外のところへのプロモーションに方針を振っても良かったんじゃないかなと思うんです。主題歌もその1つ。

個人的にはアクション好き層、歴史クラスタ、特撮界隈あたりに絶対刺さったと思うんですよ。実際私はマッドマックスを見に行った友人の耳元に「知能がいくぶんか高いマッドマックスだと思って行け」とささやくことで3人を動員し、結果的に友をしばらく忍びの国のことしかつぶやかないbotにすることに成功しました(詐欺では?)あと「これが本当の忍者、忍術なんだ!」というような切り口でも良かったかなと思います。道具とか「術」とかきっちりしていたのも魅力だと思うので。私としては届いていない忍たまファンがいるのが惜しい……絶対に開始1分で「あっこれ劇場版で見たやつ……!」って進○ゼミみたいに感動するもん……

なんていうのかな、こう、①必要以上のPRをしなくても来る層と、②来て欲しいけどピンポイントなPRがないと来ない層と、③取り込めたらいいけど優先しない層、みたいなのがあって、じゃあそれはそれぞれどういった人で、どこを最優先しますか、という部分がとっちらかったままプロモーションされている感があった気がします。私は①にあたるのはジャニオタだと思ったんだけど、どうも制作サイドは②や③だと思ったのか?じゃあ①に当たるのは何だ歴史ファンか?と思ったらそうでもなさそうだし、アクション好きか?ってなるには予告が情報不足な感じだし……みたいにどうもこう、そのへんがふわっとしてたような気がします。今どき刺さる層にさえ刺さればあとはその人たちがどんどん拡散してくれる時代なのに……

 

盛大な愚痴になってしまいまして申し訳ありません。映画が最高なのは大前提として、でもやっぱり見る気にさせるって部分はめちゃくちゃ大事だと思うんですよ。見られなければ何も始まらないから。なんの専門家でもないけれど、実際にこんなに面白くてかっこよくて泣けて興味深くて何度でも見たくなる映画を見逃しかけた人間として、やりようによってもうちょっとこの映画は化けたんじゃないかと、珍しくキツいことを言います。