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きっとシャングリラだよ

映画『検察側の罪人』愚者たちを見下ろして【感想】

 

 

ご無沙汰しております~!大野さんも宣言したとおりもう秋!早い!

というわけで感想行ってみましょう!今回はこちら!どん!

 

検察側の罪人』 2018年 監督:原田眞人 出演:木村拓哉二宮和也

 

※原作未読です。
※ネタバレをおおいに含みます。

 

 

 

公開中の映画なので、万が一ネタバレ見たっていいや!ってノリで読み進めてる方がいらっしゃるかもということでひとつ私からの個人的な見に行く前の心構えなんですけど、この映画には4DX見に行くつもりで行くぐらいがちょうどいいと思います。アトラクションだから。体力使うから。

バーン!ってなるところでビクッとしたりとか人がドーン!ってなるところでビクッとしたりとか車がバシャーン!ってなるところでビクッてしたり(お察しください)してたおかげで首から肩にかけてのあたりが非常に疲れました。あと意味もなく太もものあたりにも力入ってたし手にも力入ってた。

非常にカロリーを消費するタイプの映画なので、ほどほどにお腹に物をいれ(満腹は絶対にやめたほうがいいと思うけども)、直後に運動や仕事が控えているタイミングは避け(私は仕事帰りに行って疲労困憊して帰宅)、部屋を明るく……はできないので心を明るくして画面から離れて鑑賞しましょう。

逆に言えば映画館のあの環境でないと気が散ったりのめり込めなかったり距離ができすぎちゃったりして醍醐味を味わえないタイプの「映画館で見たほうがいい映画」だと思います。アクションとかじゃないけど。そういう映画館向きの映画もあるよね。まだの人は急ぎましょうね。

 

 

※ここからネタバレあります。

さて、このシーンはどうこう、とかそういうことを感想として述べるのが苦手な当方なので今回もいつもの調子で考えたことをつらつら述べていくスタイルで行くんですけど、話題が話題だけにちょっと踏み込みづらいんですけど正直にいこうと思います。

見終わって一番最初に強く感じたことが、人間ってなんて愚かで可愛い生き物なんだろう、ってことで。

人間は例えそれが許されないとわかっていたとしても罪を犯す。その上で、残念ながらいまのところ私たちは人間以外にその罪を量ったり裁いたりできるシステムを持っていない。それはすっごく当たり前のことで、普通に今だって日本のいたるところでその歪が生まれている。そしてそれも折込ずみでしかこの社会は成り立たない。それがいまのところの人間の限界なわけじゃないですか。それがすごくよく見える物語。

いやー人間って脆弱だよね。身も心も。でも弱いものってかわいいじゃないですか。弱いものはかわいい。世の摂理ですよ。

私は底意地の悪いお話(ぼかした表現)が好きすぎて友人から「倫理観の墓場女」の称号をいただいた人間なので、自分の感覚を一般化するような話をするのもどうかとは思うんですけど、この物語の登場人物で一番我々映画を鑑賞している人に近い位置にいるのがブローカー諏訪部だと思うんですよ。

私たちは最上に同情したり、沖野を応援したりしながらも、彼らの愚かさの果てを見たいと思わずにはいられない。どこまでも行けるところまで堕ちてしまう様子が見たいと思ってしまう。

そうして最も私たちに近い諏訪部は、いとも簡単に松倉を殺す。

なんていうか、レイヤーがひとつ上なんですよね。私たちとそして諏訪部は。一段階上に立ってるの。それをときに神様と呼ぶのかもしれないけれど。愚かな人間どもを見下ろしてあーだこーだ言ってる。時に自分の見たいものの方向へ手を突っ込んだりもして。

で、この映画の登場人物はみんなどっかしら100パーセントの同情はできないように作られているんだと思うんだけれども、じゃあみんな嫌いになれるように作られているのかっていうとそうではないと私は思います。みーんなどこかなんとなく愛嬌があって、憎めなくて。そしてそれでいいよってことなんだと思っている。

「100パーセントの嘘つきも100パーセント真実を語る人もいない」。これに尽きるんだと思います。最上は嘘つき、沙穂ちゃんだって嘘つき、沖野くんだって最初からスパッと真実を追うことに専念できたわけじゃなくてぐるぐる悩むし、街の人から証言取るために沙穂ちゃんの大切な友達の話を使おうとしたのも職務上の情報抱えて弁護団についたのも、松倉に謝れると思ったのも正直どうかと思った(沙穂ちゃんの件、私だったらあの場で思いっきり横っ面張ってた可能性があるので沙穂ちゃんは偉い)。逆に松倉が部屋にゆらゆら揺れる変なモビール飾ってたりママとかお兄ちゃんのことがどっかしら心にあったりするのはなんとなくうんうん…って思ったり、弓ちゃんだって食堂で自分がやったこと自慢しちゃったりするのそういう奴なんだなぁってちょっとおかしくなったし、あの最後に出頭してきた人はきっと弓ちゃんと親しかった人なんだろうなぁと思うと切ない気持ちにもなった。

この世界にもこの映画にも100パーセント信頼に値する人っていうのはいない。でも逆に100パーセント何にも見所のない人もいないよねって思うし、そういうところが私はすごくかわいいというか、愛おしい映画だなって思いました。

 

 

それから演出とか構成の話をすると、これは「想像力」の話なんですけど、警察とか検察の仕事って本当、想像力で勝負する世界なんですよね。

遺留品や現場の状況から過去のことを推測しないといけないし、それは最初から全部見えているわけじゃなくて、あるものから想像して探しにいかないといけない。供述だって、昔のことを思い出しながらなわけだから飛び飛びだし、しかも自分の都合のいい部分だけ取り出してないかとかを考えて間を想像力でつなぎながら聞き出さないといけない。「覚えてないじゃなくて言いたくないって言うんだよ」ってやりとりあったけどほんと、そこすごい重要なんですよね。雑に流していいとこじゃないんだよね。わかる。わかる……。

で、だからこそそれがうっかりボタンをかけ違えたり誰かが意図的にそっと軌道をずらしてたりすると大惨事につながるわけなんですけれども。つながったのが今回の一件なんですけれども。

そういうのを強く感じる構成と演出だったなぁというか。金貸してた夫婦が殺害されるシーンは回想としても出てこないし、松倉と彼の兄が犯した犯行も言葉でしか出てこない。そこをこちらは想像で補わなければならない。

全ての発端となった彼女は回想として姿を見せるけれど、それは私たちが最上がどうしてこういうふうにことを運んでいるのかをトレースしやすくするためであって、本当の犯行そのもののシーンは松倉の語りでしかわかりません。それでも沙穂ちゃんは涙を流すことができる。彼女の死を思い描くことができる。

真相は想像力に頼らなければ出てこない、その真相もそれぞれの中の想像力に塗れている。それを人間の限界と見るか、可能性と見るかなんだよなぁ。

見ていてなんとなく小説的だなぁ、演劇的だなぁ、って思ったのは観る側で補わないといけない隙間がたくさんあるからなのかなぁとも思いました。最上が戦争を「白骨街道」から想像することしかできないように。

 

そんな感じで、私はわりと人間ってどーしようもなくてでもそれでもあがいたりするところが面白いなって、なんかそんなふうに思いました。全員同情しきれないけれど、全員がかわいい人間たち。

そんなふうに思えたのは出演者が全員最強のお芝居をしてくれたおかげだと思うし、観る側の想像力に任せても脱線しない構成にするのも全員の最強のお芝居があってこそだし、やっぱそこですよね~。

好きなところいっぱいあるけど、凄みのあるところはたいてい皆様が言ってしまっているのでとりあえず沖野くん関係の小さいところから挙げると、リュックしょってとことこ歩いてるのめっちゃかわいいなっていうのと、ラブホに突入するあたりの沙穂ちゃんに押され気味なのめっちゃかわいいなっていうのとか、なんかもうすごくかわいかったですね……かわいい。

木村くんなんですけど、ジャニーズ偏差値の低い私には実は「キムタク」もそんなに強いイメージみたいなものが自分の中になくて、ただすごくすごく大好きなドラマが「眠れる森」っていう(この辺に倫理観の墓場女感が出ている)、そんな記憶だけで見たんですけど、良かったですねぇ~。なんていうか、ああいう美しくて頭が良くて社会的にも精神的にもパワーがあって、っていう人がすごい勢いでそのパワーのままに転がり落ちていくってのがイイですよね。なんていうか、「美しくて頭が良くて社会的にも精神的のもパワーがある」みたいなものに説得力がないとその落ちっぷりも生きないじゃないですか。

あとはもう、松重豊さんがすごかったね。最初から最後まで圧巻でしたね。ああいう人にかっこいいって言っちゃあいけないんだろうけどやっぱりかっこいいんですよね……最上にイタリア娘を用意して撃ち方を教えてくれるあたりとか、台詞声全身がかっこよくて、もうね、松重担になる。

とりあえず見応えがあって良かったので(ここまで読んでる方にはいないと思うけども)まだ見ていない方がいらっしゃったらぜひ。おすすめです。

 

 

あと、これはパンフレットのネタバレになってしまうので見たくない方は今すぐブラウザ閉じてもらいたいんですけど、二宮くんが「人を殺した時点でもう僕にとって最上のそれは正義じゃない」みたいなことを行っていたのが印象的でした。「どっちにも正義がある」なんてのは、深いことを言っているようでいて、時にはただの思考停止だったりもするんですよね。ね。