それは幸福なさびしさ【活動休止に寄せて】
なぜ私はこんなときに落ち着いてこうして文章を書いているんだろう。
全くわかりませんが、たぶん落ち着こうとして書いているんだと思います。今しか書けないものだと思うので、もったいないので書きます。現に、私は昨日で書けるかもしれなかったものたちの可能性をたくさん失いました。何かを知るということは、そして何かを知らせるということはそういうことです。
2019年の1月27日、私がそれを知ったのは、母からの連絡でした。始まりと終わりという意味では良い伏線回収だったなと思っています。こういう話はオタクの数だけ受け止め方があると思うので、私の受け止め方だけ自己満足で書いておきます。
決断については何を言っても野暮なので、ただ受け止め方の話だけをします。
まだコメントしか読んでないんですけど、今のところ私はめちゃくちゃ落ち着いている 武士だから よし うん
— サク (@knzksaku) 2019年1月27日
動画を見たのですが、「サイコーだな!」という気持ちが湧いてしまいました 文字起こしより動画で見る方が良いと思います 個人的に
— サク (@knzksaku) 2019年1月27日
私は心配性で、推しは明日には急逝しているかも、いや逮捕、脱退か?喧嘩割れか?それとも結婚?逆にずっといつか来るその日を思いながら終わりの見えない日々を送るのか??という気持ちで生きていたので、あぁあと2年はおだやかに生きていけるのだなと そんな 気持ち 2年もくれてありがとう……
— サク (@knzksaku) 2019年1月27日
気合入れていかないと 私はこれから活動休止を全力で感じなければならないんだ 最後まで全て味わい尽くしてやるんだ 情熱を出し切っていくんだ これまで何人の推しを見送ってきたと思ってる フレディなんて生まれた時には死んでた
— サク (@knzksaku) 2019年1月27日
もうだいたいこれなんですけど、やっぱりうん、なんていうか。思っていた以上に自分は落ち着きを持って迎えてしまったなというのがある。
たぶん、自分の中で解釈違いがなかったんだと思う。
「解釈違い」って私の故郷の界隈だとよく使うんだけどこっちの国でも使うんだろうか。わかりませんが「わたしの中の嵐」そして「わたしが想像する「嵐ならこうするんだろうなぁ」という(身勝手な)期待」と、「現実の嵐」の間に齟齬がなかったということです。あらゆる意味で。
そこが圧倒的に胸に来てしまって、「じゃあその決定によって自分の身に何が起きるのか」みたいなところまで思考が行き着くのにだいぶ時間がかかってしまったんですよね。
動画を見て、それでやっと自分ごとにまで降りてきたというか。泣きましたとも。ええ。べそべそと。
どんなに私が友達に死神と呼ばれる女とはいえ、推しがいなくなるのが、大好きな物語が終わるのが悲しくないことなんてあるわけがありません。普通にむっちゃ悲しいわ。
でもねぇ。
動画から顔を上げてテレビをつけたらねぇ。相葉さんがチャーハンを作っていたんですよ。日曜18時だからね。何事もなかったかのように。いや実際あの時間軸では何事もないんですけど。
楽しそうにね、チャーハンを作っていたんですよ。てのひらのスマホの中の動画ではちょっとだけかしこまってかなしい話を私にしているのに。
それ見てたらなんか、なんでもよくなったというか。
たぶん来週も相葉さんはチャーハンを炒めるし、あと2年ぐらいはチャーハン炒めるし、2年が過ぎたあともチャーハン炒めてるんでしょう。きっと。どこかで。
今までの間、私が見てきたチャーハンを炒めている相葉さんは、もうすでに嵐をたたむことを予定していたわけで。でも相葉さん自体は明日もたぶんそれまでと同じようにチャーハンを作るのでしょう。私がそれを知ったからといって、何が変わるわけでもないんだなと。
私が何を思おうと、事実として相葉さんはそこに生きて、チャーハンを炒めている。それは今までもこれからも変わらない。そして、たとえテレビに映らなくなる日が来ても、私がそれを見ることが叶わなくなっても、きっと彼は台所でお昼にチャーハン作るんでしょう。どこかで。今だって私の見られない場所で炒めてるかもしれないし。そこに私は何も関与できない。逆に言えば私がどんなに一人で嘆こうが、相葉さんにはチャーハンを炒めないという選択をする義理は無い。
大丈夫?読んでる人チャーハンがゲシュタルト崩壊してません?何書いてるんだろうね私。
その断絶を、さびしいと見るか、幸福と見るかっていう話なんですね。
私はそれでけっこう心が穏やかになった。なぁんだ、と。幸福なさびしさ。
それからの会見は、まぁ、見事でしたね。起こした文で読むより動画がいいし、動画より会見が良かったです。
オタクにもいろいろあると思うんですけれど、推しより先に死にたいか後に死にたいか、っていうのはけっこうスタンス差がでかく出ると思うんです。推しがいない世界にはいたくないから私は先に死にたいって人もいらっしゃるかと思いますけど、私はどちらかといえば後者でして。悪趣味な話をすると私は推しの葬儀で誰がどんな弔辞を読むのかを見届けずには死ねないと思っているタイプのオタクです。だからそういうタイプの見方だとは思うのだけれども。
活動休止を報告する記者会見で、あんなに鮮やかで、平和で、穏やかで楽しいエンターテイメントを作り出す。辛気臭くも残念でもない、自分たちのコントロール外にもいっていたりもしない。完全に完成されたパフォーマンスを行った。
最高だなと思いました。もう素直に。これからの2年間に期待しかないじゃないか。
もう「嵐ってどういう人たち?」って聞かれたらこの会見を見せようかなっていうレベルの濃縮還元嵐って感じだったじゃん。フォーメーションが完成されてた。
あと某質問に対して一つだけ。私は職業柄もあってアレにそんなに文句はなくてですね(ただ前半は聞き方が普通にマズイと思う。主語がない…「スポンサーをたくさんお持ちですがそういった方々への説明は既にされたんですか(無責任=違約になり得ることはあるのか)」とかにしとけばよかったんでは…)。ああいう席での質問は「他の人の代筆では出てこない言葉、その人ならではの言葉」を引き出すためにやるものなので、その点では結果的に成功の分類に入ると思って見てました。
あと後半は正直に言って本人たちに言わせてくれてありがとうとも思いました。これから同じこと言う輩がいたら(実際既に会見前に見たし)会見の二宮くん発言のカドで思いっきり殴りつけてやろうな!!!!!!!
いやぁなんていうか、好きになったことを全然後悔していないんですよね。一ミリも。本当に、私がずっと言っていることなんですけれど「間に合ってよかった」
ハマってからこっち、ずっと楽しいし、これからもきっと楽しいことがたくさんあるんでしょう。そう思わせてくれる挨拶でした。
まだ2年もある。2年後のその日が近づいたとき、私が何を思うのかは、その時の私に任せることにします。
今を生きるだけさ、とワイルドアットハートを口ずさみながら、全力で、生み出してくれるものに乗っかって行こうと思います。しんどいけど。でもしんどくてもいいよって嵐は言ってくれるし。抜群の福利厚生。
以上が私の所信表明です。今後ともよろしくお願いいたします。