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きっとシャングリラだよ

それは幸福なさびしさ【活動休止に寄せて】

なぜ私はこんなときに落ち着いてこうして文章を書いているんだろう。

全くわかりませんが、たぶん落ち着こうとして書いているんだと思います。今しか書けないものだと思うので、もったいないので書きます。現に、私は昨日で書けるかもしれなかったものたちの可能性をたくさん失いました。何かを知るということは、そして何かを知らせるということはそういうことです。

 

2019年の1月27日、私がそれを知ったのは、母からの連絡でした。始まりと終わりという意味では良い伏線回収だったなと思っています。こういう話はオタクの数だけ受け止め方があると思うので、私の受け止め方だけ自己満足で書いておきます。

決断については何を言っても野暮なので、ただ受け止め方の話だけをします。

 

 

もうだいたいこれなんですけど、やっぱりうん、なんていうか。思っていた以上に自分は落ち着きを持って迎えてしまったなというのがある。

たぶん、自分の中で解釈違いがなかったんだと思う。

「解釈違い」って私の故郷の界隈だとよく使うんだけどこっちの国でも使うんだろうか。わかりませんが「わたしの中の嵐」そして「わたしが想像する「嵐ならこうするんだろうなぁ」という(身勝手な)期待」と、「現実の嵐」の間に齟齬がなかったということです。あらゆる意味で。

そこが圧倒的に胸に来てしまって、「じゃあその決定によって自分の身に何が起きるのか」みたいなところまで思考が行き着くのにだいぶ時間がかかってしまったんですよね。

動画を見て、それでやっと自分ごとにまで降りてきたというか。泣きましたとも。ええ。べそべそと。

どんなに私が友達に死神と呼ばれる女とはいえ、推しがいなくなるのが、大好きな物語が終わるのが悲しくないことなんてあるわけがありません。普通にむっちゃ悲しいわ。

でもねぇ。

動画から顔を上げてテレビをつけたらねぇ。相葉さんがチャーハンを作っていたんですよ。日曜18時だからね。何事もなかったかのように。いや実際あの時間軸では何事もないんですけど。

楽しそうにね、チャーハンを作っていたんですよ。てのひらのスマホの中の動画ではちょっとだけかしこまってかなしい話を私にしているのに。

それ見てたらなんか、なんでもよくなったというか。

たぶん来週も相葉さんはチャーハンを炒めるし、あと2年ぐらいはチャーハン炒めるし、2年が過ぎたあともチャーハン炒めてるんでしょう。きっと。どこかで。

今までの間、私が見てきたチャーハンを炒めている相葉さんは、もうすでに嵐をたたむことを予定していたわけで。でも相葉さん自体は明日もたぶんそれまでと同じようにチャーハンを作るのでしょう。私がそれを知ったからといって、何が変わるわけでもないんだなと。

私が何を思おうと、事実として相葉さんはそこに生きて、チャーハンを炒めている。それは今までもこれからも変わらない。そして、たとえテレビに映らなくなる日が来ても、私がそれを見ることが叶わなくなっても、きっと彼は台所でお昼にチャーハン作るんでしょう。どこかで。今だって私の見られない場所で炒めてるかもしれないし。そこに私は何も関与できない。逆に言えば私がどんなに一人で嘆こうが、相葉さんにはチャーハンを炒めないという選択をする義理は無い。

大丈夫?読んでる人チャーハンがゲシュタルト崩壊してません?何書いてるんだろうね私。

その断絶を、さびしいと見るか、幸福と見るかっていう話なんですね。

 私はそれでけっこう心が穏やかになった。なぁんだ、と。幸福なさびしさ。

 

それからの会見は、まぁ、見事でしたね。起こした文で読むより動画がいいし、動画より会見が良かったです。

オタクにもいろいろあると思うんですけれど、推しより先に死にたいか後に死にたいか、っていうのはけっこうスタンス差がでかく出ると思うんです。推しがいない世界にはいたくないから私は先に死にたいって人もいらっしゃるかと思いますけど、私はどちらかといえば後者でして。悪趣味な話をすると私は推しの葬儀で誰がどんな弔辞を読むのかを見届けずには死ねないと思っているタイプのオタクです。だからそういうタイプの見方だとは思うのだけれども。

 

活動休止を報告する記者会見で、あんなに鮮やかで、平和で、穏やかで楽しいエンターテイメントを作り出す。辛気臭くも残念でもない、自分たちのコントロール外にもいっていたりもしない。完全に完成されたパフォーマンスを行った。

最高だなと思いました。もう素直に。これからの2年間に期待しかないじゃないか。

もう「嵐ってどういう人たち?」って聞かれたらこの会見を見せようかなっていうレベルの濃縮還元嵐って感じだったじゃん。フォーメーションが完成されてた。

 

あと某質問に対して一つだけ。私は職業柄もあってアレにそんなに文句はなくてですね(ただ前半は聞き方が普通にマズイと思う。主語がない…「スポンサーをたくさんお持ちですがそういった方々への説明は既にされたんですか(無責任=違約になり得ることはあるのか)」とかにしとけばよかったんでは…)。ああいう席での質問は「他の人の代筆では出てこない言葉、その人ならではの言葉」を引き出すためにやるものなので、その点では結果的に成功の分類に入ると思って見てました。

あと後半は正直に言って本人たちに言わせてくれてありがとうとも思いました。これから同じこと言う輩がいたら(実際既に会見前に見たし)会見の二宮くん発言のカドで思いっきり殴りつけてやろうな!!!!!!!

 

いやぁなんていうか、好きになったことを全然後悔していないんですよね。一ミリも。本当に、私がずっと言っていることなんですけれど「間に合ってよかった」

ハマってからこっち、ずっと楽しいし、これからもきっと楽しいことがたくさんあるんでしょう。そう思わせてくれる挨拶でした。

まだ2年もある。2年後のその日が近づいたとき、私が何を思うのかは、その時の私に任せることにします。

今を生きるだけさ、とワイルドアットハートを口ずさみながら、全力で、生み出してくれるものに乗っかって行こうと思います。しんどいけど。でもしんどくてもいいよって嵐は言ってくれるし。抜群の福利厚生。

以上が私の所信表明です。今後ともよろしくお願いいたします。

【超初心者の】オタク的年末年始の話 ~「終わり」に寄せて~

 

あけましておめでとうございます。年末年始、いかがお過ごしでしょうか。

終わらない嵐沼ライフ、本年もくだらないことを書き散らしているかと思いますがどうか生暖かい目でご覧頂けると幸いです。

そろそろネタがないんだよな何書こうかなって思ってたし、実を言うと別のもの書こうとしてて、っていうか既に書き始めてて、しかしながら途中で年変わっちゃいましてですね、年末年始を過ごしたら今書かなければならないことが現れたのでこっちを優先します。数日後に別のが更新されたらそれが予定稿です。

おととし11月のコンサートの時点で片足をつっこんでたので厳密に言うとオタクとして年越しを迎えるのは2回目なんですけど、もしかして、いやもしかしなくても、

 

 

ジャニヲタって、年末年始、めちゃくちゃ忙しくない……?

 

何なん?オタクすごい忙しい。嵐はひときわってところもあるけれども。紅白もあるしカウコンもあるし、特番あるし、テレビ誌めっちゃ出るし、雑誌の年始号もあるし、あと5×20の情報も入ってくるし、年賀状申し込まないとだし……(この文もVS嵐のCMの合間を縫って執筆されております)

 

そんな年末年始の感想なんですけど、やっぱりその中でもひときわ大きかったし忙しさを加速させてたのは、タキツバの終焉だったなと思っています。8Jもあったし、タッキーがゲストで出てた番組もあったし、あと今回タッキーのインタビュー読むためにあえらとか週刊あさひとかにっけいエンタとかも手ぇ出したので……

……自分でタスクを増やしている……でもなんというか……こう……タキツバとの別れを全力で全身で感じたくて……

ファンとは恐れ多くて絶対に言えない私が言うのはおこがましいというのは百も千も一億ぐらいは承知なので許してもらいたいのですが、間に合ったからには手を抜かず見送りたいという気持ちがありました。私にとってのタッキーはドラマ「~アンティーク~西洋骨董洋菓子店」のエイジなので、カウコンの明るい髪色でちょっとツンツンしてる感じのタッキーはすごく、ああタッキーだ……という気持ちだったなぁ……

もしも私が去年嵐にハマっていなかったら、きっと私は小学校の頃に目を輝かせてエイジを応援していた頃を、友人にもらったアイドル雑誌の切り抜きをスクラップ帳に糊で丁寧に貼り付けていた頃を綺麗に忘れていたことでしょう。そして彼に素敵な歌とか、壮絶な覚悟とか、暖かな友情とか、周囲の視線とか、そういうものがあるのを全部知らずに、コタツで生産されてる欺瞞と憶測に満ちたネットニュースを雑に読んでTwitterで無責任なことを雑につぶやく嫌な大人になっていたのかもしれません。それはとても怖いことだ。

 

一旦全然関係ない話みたいになるんですけど、年末に「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行ってきました。すげーよかったんですけど、すげーよかったんですけど、映画が始まって最初の音楽が流れ始めた瞬間にだばだば涙が出てきて、それから5分おきぐらいにたぱたぱ泣いてました。

私にとってフレディは「間に合わなかった推し」でした。

高校時代に好きだったアーティストがよくカバーで彼らの曲を歌っていて、図書館でベストを借りに行って、それから私のバス通学のBGMはクイーンになりました。図書館とCDショップ廻ってアルバム探して。リスニングの勉強にもなるし!なんて言って。

私が生まれる2年前に、フレディは既に亡くなっていました。

どうやったって見ることができない彼らのライブを疑似体験して、なんていうか、やっぱり同じ時代を生きているのってものすごいアドバンテージだと思いました。それだけはもうどんなに努力してもやる気があってもお金があってもどうにもできない。どんなに私がクイーンのことを好きだったとしても、そんなにクイーンのこと好きじゃないけどそういや昔テレビつけたらライブエイドの中継やってた気がするなぁ~という人に私は絶対に勝てない。あと推しは思っているよりもすぐに死ぬ。ありとあらゆる意味で、ありとあらゆる原因で、ありとあらゆる推しは死ぬ。

だからこそ間に合うってことはすごい奇跡だなと思ったというのと、それからライブっていうのは自分と推しが同時代人だということを確かめる行為なんだなって思いました。そんな折に5×20アンドモアの発表があって。

直接会う機会を作ろうって努力してくれることが、どれだけ貴重で大事なことか、なんだかこの年末年始で思い知った気がしています。出足は遅れたけれども。8Jみたいに再放送してくれないと見られないものも沢山あるけれども。でもまだいちおう私と嵐は同時代人です。この目で見たもん!!!あらし、いたんだもん!!(トトロのメイちゃん風に)

ちなみに補足なのですがボヘミアン・ラプソディ、全ての「音楽に関わる推し」がいる人に見てもらいたいし、あと私は嵐にはまってグループ萌えの概念を手に入れてから見に行けて本当に良かったなと思っています。わちゃわちゃ楽しいし、ソロとかスキル差とか加入時期とかお金とか各自の生活とかうわ~染みるなぁみたいな話多い。そういう意味でもこの順番でクイーンを体感させてくれてありがとう嵐。というわけで普通におすすめです。円盤待たずに映画館で見るべき。

 

そんなわけで平成も終わってしまいますが、そんなタイミングを嵐と、それからこれを読んでいる貴方と通過することができるってサイコーだなって思います。サイコー。幸福に生きていこうぜ!今年もこんな感じで駆け抜けるんで、よろしくお願いします!!!!

 

【超初心者が】嵐「5×20」に行ってきた【札幌レポート】

先日、機会があって嵐のドームツアー「untitled」に参戦してきた。

という書き出しでブログを書いてからちょうど1年が経ちました。月日が経つのは早いものです。

 

そんなわけで、ツアー「5×20」、札幌ドーム2日目に参戦してきました。

 

いやーあの、うん、正直に言います。悩んだ。

一旦ぐるぐるした話をするのでうるせぇお前の話は聞いてねぇレポートを読ませろって方はなんかフォントサイズでかい文字が見えるところまでガッとスクロールしてください。

 

今回も前回と同じく、チケットは母が引き当てました。で、同行者が私だったんですけど、私は去年より、このチケットの重みを知っている。

正直、私より行くべき人がいるんじゃないか……みたいなことをね。思ったんですよ。むちゃくちゃ重いじゃん。20周年アニバーサリーツアー、かたや沼落ちから1年のぺいぺい、しかも前回のコン堕ちだぞ?贅沢者すぎてバチが当たるでしょ…

と、1日ぐらい考えたんですけど、でも当たっといてちょっと暗い顔してるのとかってありとあらゆる方面にめちゃくちゃ失礼なことじゃね?あとファンの先輩たる母上が私を同行者に選んでくれたのだから(ちなみに母上には同担の友人もいます)そこはありがたく全力で受けるべきじゃね?などということに思い至り、顔を上げて参戦してこようと思いました。

諸先輩方におかれましては私たち親子が不正なき参戦だったということ、私の席分は転売ヤーや盗撮魔アンチetcから守られたということ、この席に恥じない良き1ファンであろうと改めて誓ったことなどを持ってお許しいただきたいと思います。始まりから重いな。ごめんなさいね。そろそろやめます。

 

さて何から話をしようかと考えたんですけど、

結論から言うとめちゃくちゃヤバかった

という身も蓋もないやつになってしまうんですが、なんていうかこう、小さなことから大きなことまで、いろいろなことを考えたり感じたりするようなコンサートで、それでいてひたすら楽しく、多幸感を脳髄に直に叩き込んでくるわりに、同時に知恵熱出る勢いで頭も動かさないといけないし、なんつーか、脳と感情のキャパシティぎりぎりみたいな感じのコンサートで、ここ数日の私はそんな思い出を出したり閉まったりしながらずぅっと考えてて、うん、そんな感じ(どんな感じ?)

なので、とりあえず、とりあえずまずレポらしい話、参戦日17日ならではの話をして、それからセトリや構成や演出の話をして、それからそれを観て考えたこと、みたいな順でいきたいな、と思っています。気持ち的には「かるめ」→「おもめ」みたいな感じになります。お好きなところをお読みください。そろそろバレてきた気がするけど私は精神性が重いオタクなので……メンタルが武士なので……

 

※セトリを順に一覧で書いちゃう、衣装図解しちゃう、といった類のストレートなバレはありませんが、自分が参戦するまで何も見たくない!という方はこちらで引き返してください。自己責任でお願いします。

 

 

■17日の話

 

私の席はセンステに向かってちょうど左真横のスタンド席後方でした。センステメンステバクステ花道全てから程々に遠いが逆に全て平等に見えるみたいな謎の位置取り。

あと私事ですが今回初めてアイドルの顔写真のついたうちわを買いました。傍から見るよりめちゃくちゃでかいですねこれ……いまだに圧に慣れないというかなんか照れるというか直視できないのでそっと裏側にして飾ってるんですけど世の皆様はどうなさっているのだろうか…

以下、17日ならではのむちゃくちゃ可愛かったりかっこよかったりした場面のメモです。

・翔くんが投げキッスをして会場が沸いた瞬間にカメラが切り替わって抜かれてしまい、盛大にきょとんとしたところが大画面に映っちゃった二宮くん

これ個人的にKAWAII大賞あげたいですね……全員離れた場所で歌ってたので二宮くんは何で沸いたのかがわからず思わず探したみたいなんですけど、きょどきょどしてたとこが会場中に見えていました……素…かわいい…

・暗転の中での位置取りが下手だということを相葉さんに開口一番バラされる翔くん

真っ暗な中気づいたら隣に翔ちゃん……いるはずのない翔ちゃん……本人もめちゃくちゃ焦るんでしょうが誰かがインタビューか対談で「本番だからこそ笑える」って言っててきっとそうなんだろうなって思いました。全力でやってそうなっちゃったならもうあとは切り抜けて笑い話に昇華するしかないよなって……

あと暗転といえば1度だけ、私のいたブロックの目の前で暗転中の衣装替えが行われた場面がありまして、相葉さんがギリッギリで服に袖を通しマイクを受け取る瞬間を拝むことができました。円盤だと絶対に映らないので感動しました。円盤で見ると魔法みたいに服が変わってますが現実は魔法ではないので一生懸命着替えていました。マジで予定よりギリッギリだったみたいで本人ちょっと笑っちゃってましたけど…

・潤くんがDisco Star教に入信

潤くんが~~~~~移動するときにディスコスターウォークやってた~~~~~~!!!!(泣き虫推しの歓喜)翔くんはいつものようにバイバイしてたんですが、やっぱり相葉さんはいつだって、誰かが呼ぶからこそディスコスター様を降ろしてきてくれるんだなと思いました。ディスコスター様はいつだって彼を忘れない者の元に現れるのだ……(おっ!危ない人だ!)

・大野さんと二宮くん…めちゃくちゃかわいい…

ロッコっていうかなんていうか(実物を見てもらいたい)がぐるっと会場を回るじゃないですか、その分け方が大宮と3人、てなるときがあってアレあんまり見ないなこの組み分けって思ったんですけど有識者の皆様どうなんでしょうか……なんかあの…ちまちましていて……かわいい……かわいい以外の言語がシュンッって脳から消えた……ところで何故か二宮くんが大野さんのお尻を叩いていたんですけどほんとアレ何だったのかわからないので有識者の皆様どうなんでしょうか……

相葉雅紀の話

1年前にガッツリ私を沼に叩き込んだ相葉さんライブVer.なんですけど、今年も引くほど綺麗でしたね。お手振り中にカメラに抜かれた時に後ろを向いちゃってることが多かったんですけど、そんなときも「後頭部が完璧な美しさだな……」って思ってました。あとお歌がとても…上手い……歌が……うまい……うま…

あとけっこう序盤に葉担の村を焼く感じのコーナーがあるので葉担さんは覚悟しておいたほうがいいと思います。気を確かに持ってほしい。あの演出考えた人にはなんか……遅刻しそうな時に信号に止められないみたいな幸運が一生降り注いでほしい……

 

■ライブ構成の話

セトリ、私は見ないで行ったんですけど、けっこうもう見てる人も多いのかな。本人たちも言ってましたが情報化社会なので……

んで、それだけ見て「新規向けかよ」みたいなこと言っている人、見かけたんだけど、でもちょっと待ってほしい。ここにいるマジのド新規の話を聞いてほしい。今回のコンサートめちゃくちゃ古参向けだぞ!!!!!!!!

なんていうのかな……一言で言えば「最大公約数のオタク人生の歌」みたいなセトリをしていた。

なんていうか、オタクにはみんなオタク人生で象徴的な歌みたいなのがあって、例えば私にとって最初に買ったシングルはFind The Answerで、人生で最初に出会った嵐は君のために僕がいるで最初に口ずさんだ歌はWISH、みたいなのがあるわけですけど、それぞれに人生のいろんなところに歌があって。オタクをやるというのは景色が二重三重に見えるということだと思うんですよ。ハワイはもうただの南の島ではないし、国立はただのスタジアムではない。ただのモノに憧れとか思い出とか怨念とか諸々をなすりつけていく作業がオタクやるってことなんだと思ってるんですけど、今回のライブはそういうのを可視化して展開していく感じの演出になっています。だからねぇ、新参には圧倒的にあの情報の洪水を整理する知識と思い出憧れ怨念が足りないのよ。敵わないのよ。たぶん皆様このコンサート私より何倍も楽しめるよ。このドドド新規が保証するよ。

そして、そんな我々のオタク人生は、5人のアイドル人生でもあるんですよね。

そこはイコールなんだってことを、そしてその曲たちへの思い出憧れ怨念は俺たちだって抱えて生きてるんだぜっていうことをガンガンと見せつけてくるわけですよ。推しが生きているジャンルの特権だよね。推しの上を通り過ぎる1年と我々の1年はイコールなんですよ。こんな幸福なことがあるだろうか。

 

■そしてアイドルについて本気出して考えてみた

で、感想です。私1年間考えてたことがあって、それが「アイドルを”応援する”とはなんぞや」ということで。

純化した話ですけど、例えばスポーツ選手だったら、その選手の目標、優勝するとか記録を出すとかが叶うように応援するわけじゃないですか。アーティストだったら彼らの表現したいとかそういう思いが叶うように応援するわけじゃないですか。私たちが応援しないと彼らの目標が叶わないわけです。一方通行でなんていうか、「応援の純度が高い」って感じがするんですよ。

じゃあアイドルはどうなんだっていうと、 私たちは彼らの何を応援してるのかってところがいまいち謎で。つきつめるとファンを楽しませたいとかになって、でそれを応援するのもファンで、目標と支援する側が一体になってる。ってかそれって「応援」っていうより普通に「対価」じゃない?とか考えてて。

それでまぁ、別Gの話はしませんけど最近いろいろあったりとか、あと1年も沼にいればそこそこ深淵を覗く機会もあったりして、うん。まぁどこのジャンルも大変です。

スポーツ選手が応援が無くて力が出ない、お金がなくて練習できない、イコール目標が達成できない、っていうのはわかりやすくファンが必要な理由なんですけど、アイドルみたいに目標と支援する側が一体になっている状態だと、ファンが消えると同時に目標も消えるので、ただ無に返るだけでデメリットはないよね?もしもファン抱えてる方がデメリット多いんだったら無にしてしまえばいいってことになるわけですよ。

私は大好きな人達から離れるのは難しいんですけど、たぶんあちらは私たちから離れるのは簡単なんだろうなとよく思います。

そんなときに、「応援してきてくれたファンに感謝しよう」って伝えてきてくれたものがあのコンサートで、私はめちゃくちゃほっとしたというか、安心したというか。

いかに自分たちが自分たちのグループを愛しているか。

いかにこの20年が楽しいものであったか。

今回のコンサートはそれで我々をぶん殴ってくるみたいな構成だった。それを伝えることがファンへの感謝を示すことになる、と考えたという時点でまずひれ伏したい。圧倒的に正しいと思う。

主語が自分でなくなるとオタクは狂う、って前にツイートしたんですけど、それってオタクだけじゃなくて万事に言える気がしていて。誰かのために、とかって綺麗だけど、根幹の「自分がそうすると嬉しいから」みたいなのを失うと何かが確実に死んでいく。もしくはその恩や期待を勝手に背負わされた誰かが傷ついていく。

「今とっても楽しいよ」を受け取ってこそ「貴方のために」を安心して享受できるんだろうなと思います。

だから今、嵐のこと大好きでよかったーーーーーー!!!!って気持ちでいっぱいなんですよね。安心して彼らのくれる最高のエンタテイメントを楽しもう!って気持ち。

二宮くんの言う「あの時は辛かったなんて聞きたくないでしょ?」っていうのがよくわかる。それが100パーセント本当かどうかなんて知る必要はなくて、ただただここは安心して楽しめる場所ですよっていうのを示してくれるという、そのホスピタリティ。私はそれが誠実さでなければ何なのか、って思います。

 

というわけでこれから参戦する人は安心して、そしてなるべく邪念を捨て脳のキャパシティを開けた状態で挑んで欲しいと思います。

 

うわ!!長い!!!!ここまでご清聴いただいた皆さんありがとうございます!円盤を心の支えにまた1年、彼らのことを本気出して考えながら楽しく生きていきたいと思います。 5×20はいいぞ。

 

 

 

追伸:参戦した有識者の皆様に伺いたいんですけど、アレって缶蹴りってことで合ってます?

映画『検察側の罪人』愚者たちを見下ろして【感想】

 

 

ご無沙汰しております~!大野さんも宣言したとおりもう秋!早い!

というわけで感想行ってみましょう!今回はこちら!どん!

 

検察側の罪人』 2018年 監督:原田眞人 出演:木村拓哉二宮和也

 

※原作未読です。
※ネタバレをおおいに含みます。

 

 

 

公開中の映画なので、万が一ネタバレ見たっていいや!ってノリで読み進めてる方がいらっしゃるかもということでひとつ私からの個人的な見に行く前の心構えなんですけど、この映画には4DX見に行くつもりで行くぐらいがちょうどいいと思います。アトラクションだから。体力使うから。

バーン!ってなるところでビクッとしたりとか人がドーン!ってなるところでビクッとしたりとか車がバシャーン!ってなるところでビクッてしたり(お察しください)してたおかげで首から肩にかけてのあたりが非常に疲れました。あと意味もなく太もものあたりにも力入ってたし手にも力入ってた。

非常にカロリーを消費するタイプの映画なので、ほどほどにお腹に物をいれ(満腹は絶対にやめたほうがいいと思うけども)、直後に運動や仕事が控えているタイミングは避け(私は仕事帰りに行って疲労困憊して帰宅)、部屋を明るく……はできないので心を明るくして画面から離れて鑑賞しましょう。

逆に言えば映画館のあの環境でないと気が散ったりのめり込めなかったり距離ができすぎちゃったりして醍醐味を味わえないタイプの「映画館で見たほうがいい映画」だと思います。アクションとかじゃないけど。そういう映画館向きの映画もあるよね。まだの人は急ぎましょうね。

 

 

※ここからネタバレあります。

さて、このシーンはどうこう、とかそういうことを感想として述べるのが苦手な当方なので今回もいつもの調子で考えたことをつらつら述べていくスタイルで行くんですけど、話題が話題だけにちょっと踏み込みづらいんですけど正直にいこうと思います。

見終わって一番最初に強く感じたことが、人間ってなんて愚かで可愛い生き物なんだろう、ってことで。

人間は例えそれが許されないとわかっていたとしても罪を犯す。その上で、残念ながらいまのところ私たちは人間以外にその罪を量ったり裁いたりできるシステムを持っていない。それはすっごく当たり前のことで、普通に今だって日本のいたるところでその歪が生まれている。そしてそれも折込ずみでしかこの社会は成り立たない。それがいまのところの人間の限界なわけじゃないですか。それがすごくよく見える物語。

いやー人間って脆弱だよね。身も心も。でも弱いものってかわいいじゃないですか。弱いものはかわいい。世の摂理ですよ。

私は底意地の悪いお話(ぼかした表現)が好きすぎて友人から「倫理観の墓場女」の称号をいただいた人間なので、自分の感覚を一般化するような話をするのもどうかとは思うんですけど、この物語の登場人物で一番我々映画を鑑賞している人に近い位置にいるのがブローカー諏訪部だと思うんですよ。

私たちは最上に同情したり、沖野を応援したりしながらも、彼らの愚かさの果てを見たいと思わずにはいられない。どこまでも行けるところまで堕ちてしまう様子が見たいと思ってしまう。

そうして最も私たちに近い諏訪部は、いとも簡単に松倉を殺す。

なんていうか、レイヤーがひとつ上なんですよね。私たちとそして諏訪部は。一段階上に立ってるの。それをときに神様と呼ぶのかもしれないけれど。愚かな人間どもを見下ろしてあーだこーだ言ってる。時に自分の見たいものの方向へ手を突っ込んだりもして。

で、この映画の登場人物はみんなどっかしら100パーセントの同情はできないように作られているんだと思うんだけれども、じゃあみんな嫌いになれるように作られているのかっていうとそうではないと私は思います。みーんなどこかなんとなく愛嬌があって、憎めなくて。そしてそれでいいよってことなんだと思っている。

「100パーセントの嘘つきも100パーセント真実を語る人もいない」。これに尽きるんだと思います。最上は嘘つき、沙穂ちゃんだって嘘つき、沖野くんだって最初からスパッと真実を追うことに専念できたわけじゃなくてぐるぐる悩むし、街の人から証言取るために沙穂ちゃんの大切な友達の話を使おうとしたのも職務上の情報抱えて弁護団についたのも、松倉に謝れると思ったのも正直どうかと思った(沙穂ちゃんの件、私だったらあの場で思いっきり横っ面張ってた可能性があるので沙穂ちゃんは偉い)。逆に松倉が部屋にゆらゆら揺れる変なモビール飾ってたりママとかお兄ちゃんのことがどっかしら心にあったりするのはなんとなくうんうん…って思ったり、弓ちゃんだって食堂で自分がやったこと自慢しちゃったりするのそういう奴なんだなぁってちょっとおかしくなったし、あの最後に出頭してきた人はきっと弓ちゃんと親しかった人なんだろうなぁと思うと切ない気持ちにもなった。

この世界にもこの映画にも100パーセント信頼に値する人っていうのはいない。でも逆に100パーセント何にも見所のない人もいないよねって思うし、そういうところが私はすごくかわいいというか、愛おしい映画だなって思いました。

 

 

それから演出とか構成の話をすると、これは「想像力」の話なんですけど、警察とか検察の仕事って本当、想像力で勝負する世界なんですよね。

遺留品や現場の状況から過去のことを推測しないといけないし、それは最初から全部見えているわけじゃなくて、あるものから想像して探しにいかないといけない。供述だって、昔のことを思い出しながらなわけだから飛び飛びだし、しかも自分の都合のいい部分だけ取り出してないかとかを考えて間を想像力でつなぎながら聞き出さないといけない。「覚えてないじゃなくて言いたくないって言うんだよ」ってやりとりあったけどほんと、そこすごい重要なんですよね。雑に流していいとこじゃないんだよね。わかる。わかる……。

で、だからこそそれがうっかりボタンをかけ違えたり誰かが意図的にそっと軌道をずらしてたりすると大惨事につながるわけなんですけれども。つながったのが今回の一件なんですけれども。

そういうのを強く感じる構成と演出だったなぁというか。金貸してた夫婦が殺害されるシーンは回想としても出てこないし、松倉と彼の兄が犯した犯行も言葉でしか出てこない。そこをこちらは想像で補わなければならない。

全ての発端となった彼女は回想として姿を見せるけれど、それは私たちが最上がどうしてこういうふうにことを運んでいるのかをトレースしやすくするためであって、本当の犯行そのもののシーンは松倉の語りでしかわかりません。それでも沙穂ちゃんは涙を流すことができる。彼女の死を思い描くことができる。

真相は想像力に頼らなければ出てこない、その真相もそれぞれの中の想像力に塗れている。それを人間の限界と見るか、可能性と見るかなんだよなぁ。

見ていてなんとなく小説的だなぁ、演劇的だなぁ、って思ったのは観る側で補わないといけない隙間がたくさんあるからなのかなぁとも思いました。最上が戦争を「白骨街道」から想像することしかできないように。

 

そんな感じで、私はわりと人間ってどーしようもなくてでもそれでもあがいたりするところが面白いなって、なんかそんなふうに思いました。全員同情しきれないけれど、全員がかわいい人間たち。

そんなふうに思えたのは出演者が全員最強のお芝居をしてくれたおかげだと思うし、観る側の想像力に任せても脱線しない構成にするのも全員の最強のお芝居があってこそだし、やっぱそこですよね~。

好きなところいっぱいあるけど、凄みのあるところはたいてい皆様が言ってしまっているのでとりあえず沖野くん関係の小さいところから挙げると、リュックしょってとことこ歩いてるのめっちゃかわいいなっていうのと、ラブホに突入するあたりの沙穂ちゃんに押され気味なのめっちゃかわいいなっていうのとか、なんかもうすごくかわいかったですね……かわいい。

木村くんなんですけど、ジャニーズ偏差値の低い私には実は「キムタク」もそんなに強いイメージみたいなものが自分の中になくて、ただすごくすごく大好きなドラマが「眠れる森」っていう(この辺に倫理観の墓場女感が出ている)、そんな記憶だけで見たんですけど、良かったですねぇ~。なんていうか、ああいう美しくて頭が良くて社会的にも精神的にもパワーがあって、っていう人がすごい勢いでそのパワーのままに転がり落ちていくってのがイイですよね。なんていうか、「美しくて頭が良くて社会的にも精神的のもパワーがある」みたいなものに説得力がないとその落ちっぷりも生きないじゃないですか。

あとはもう、松重豊さんがすごかったね。最初から最後まで圧巻でしたね。ああいう人にかっこいいって言っちゃあいけないんだろうけどやっぱりかっこいいんですよね……最上にイタリア娘を用意して撃ち方を教えてくれるあたりとか、台詞声全身がかっこよくて、もうね、松重担になる。

とりあえず見応えがあって良かったので(ここまで読んでる方にはいないと思うけども)まだ見ていない方がいらっしゃったらぜひ。おすすめです。

 

 

あと、これはパンフレットのネタバレになってしまうので見たくない方は今すぐブラウザ閉じてもらいたいんですけど、二宮くんが「人を殺した時点でもう僕にとって最上のそれは正義じゃない」みたいなことを行っていたのが印象的でした。「どっちにも正義がある」なんてのは、深いことを言っているようでいて、時にはただの思考停止だったりもするんですよね。ね。

 

 

 

 

映画『新宿少年探偵団』少年少女と壁の向こう側【感想2】

残暑厳しい中ですが前回に続きます。

そう、今回はこちら、どん。

 

新宿少年探偵団』 1997年 監督:淵井正文 主演:相葉雅紀

 

※原作未読です。

※前回の『ぼくらの勇気  未満都市』と関連した話をしますが、単品でも大丈夫です。

※ネタバレを含みます。

 

 

ちいさな相葉くんを見に行こうの会って感じで未満都市からこちらへ移ったのですが、いやびっくりしたんだけど、1年で人ってこんなに変わる????相葉くんも潤くんも。なんていうかモリとアキラからがっつり垢抜けてやがる……幕原市民もびっくりのシティボーイやでほんま。一気にアイドルの顔をしている。少年の成長はすごい……

 

と思って見てたら思わぬ深手を負ったというか、いやこれ重くね……?けっこう憂鬱になるシーン多くね……?もうちょっとこう、なんていうかポップなやつやと思ってたよ……いや途中の芝生ピクニックシーンと最後のCan do! Can go!はポップだけども……そこで取り返せると思うなよ!!!!でもいいぞ!!!そういうの大好き!!!!!!というわけでまだ見てない人けどこれを読んでいるという人は部屋と心を明るくして適切な距離を取って見ていただきたいと思います。油断してはいけない。

 

未満都市』も『宿少』も、ジュブナイルものでファンタジー、なのですが、あり方は大きく違っています。未満都市が世界観全体がファンタジーに浸かっている作品だとしたら、宿少は「日常世界の上を通り過ぎていったファンタジーのお話」です。大人が全員死に絶え隔離された非日常の世界に生きる少年少女たちと、日常生活の向こう側に妖しい裏側の世界を垣間見る少年少女たち。そしてこの違いが、とてつもなくしんどい。

 

かたや、出ることを許されない壁の中で、それでも生きるために秩序と正義を探す子供たち。その過程で「大人」の欺瞞や弱さを見つけていく子供たち。

 

かたや、両親は離婚、父親は夜勤で家にいないか寝ているか、学校に行かず不良のレッテルを貼られながら昼夜新宿の街を浮浪する壮助。

親に将来のためと塾へ追いやられ、交友関係にまで口を出されながら、才能を発揮する場所まで隠れて求めなければならない謙太郎。

望まないアイドル活動のために苛められ、人の目に追われ、不仲でもひどく扱われても必死に両親をつなぎとめるために壊れる美香。

のびのびと意見を言えない窮屈さを感じ、親に大好きな武道を奪われている響子。

 

なぁんだ。病原菌も政府の陰謀もなくたって、みんな壁の中にいる子たちじゃん。

 

そんな子供たちがいっとき巡り合って、確かにそこには友情と気づきと成長と救いは生まれた。広い世界の存在も知った。でも、それは大人の作った壁を完全に破壊するには至らないわけですよ。美香の両親がこれから仲良くなるわけでもないし、過食症の治療は続くだろうし、壮助の母親は帰ってこない。逆に大人全員が死に絶えて問題すべてがひっくり返ることだってもちろんない。壮助は自分が探しているものは「使命」だってわかったけれど、それは誰かが与えてくれるものじゃない。少年少女の上をファンタジーは通り過ぎて行き、彼らは戦争を続けなければならない。

本当にここしんどいなってシーンがあるんですけれど、作中で、自分が我慢すれば家族がばらばらにならなくて済むんだ(既に精神も肉体も我慢ができる段階を超えているのに)と言う美香に、壮助が「大人は俺が不良になったのは母親がいないせいだって言う。でもそれは違う。俺はもともとこういうやつだった。だから親の事なんて気にせず好きなようにすればいいんだ」というような話をするシーンがあります。言いたいことはわかる。親のことは気にせず好きに生きろというのは正しいと思う。確かにその言葉は美香を救うでしょう。でも壮助くん、貴方だって救われないといけないんだよ。自分が勝手に今の状態になったんだなんて、自分を諦めるみたいなそんな悲しいことを、周りの大人は言わせてはいけなかったんだよ。

この世界の大人は何してんだよ!!!!!!!(机バンバン)

 

いやもーう、ね。中学生の頃に見ることができていたら、主人公たちの不遇もスパイスに不思議な謎の美少年との邂逅や秘密の通信、街に残された暗号に心を躍らせることができたんでしょうけれども。残念ながら私はもう守るもののなかった子どもじゃない、大人になってしまったので、なんかもう、この子たちの痛々しさとそれを許しているこの世界へのやるせなさに目を向けずにはいられなくなってしまいました。

願わくは、この4人が壁の向こう側へ行ける日がきますように。

 

 

暗い話になってしまったので、明るい話をします。相葉雅紀松本潤の可愛らしさ&幸薄そう感すごい(明るい話なのか?)なんていうかこう、この2人ってタイプは全然違うのに2人とも「ホラー映画に出てくる美少年顔」してません?違ったタイプの。なんでだろう。こんなにきちんとしたご家庭できちんと健康的に育ったお子たちなのに。

あと隠せない泣き虫さんチームクラスタなのでガムのシーンはいまだにどういう顔をして見ればいいのかわからないし、蘇芳くん(しっかしまぁ横山くんは顔がきれい、そして今とほんとに同じ顔をしているのでびっくりしました)の手を握り締める壮助くんはだいたいマリア様でした。ありがとうございました。魔力供給?!?!と騒いだのは内緒です。

それから、親に反対されてでも親友でいようとした壮助くんと謙太郎くんが、この物語の後もいつまでも友達であることを願わずにはいられないこの物語ですが、20年後の世界にアイドルになった2人が隣に並んでいるということ、それが一つの回答として用意されていることに心の底から感謝したい。これもまたひとつのスタンド・バイ・ミー。ありがとう世界。

 

 

 長々ご清聴ありがとうございました。またよろしくお願いいたします。

 

おまけ。諸事情あってカスタマーセンターができました。お気軽にご利用ください。

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ドラマ『ぼくらの勇気 未満都市』少年少女と壁の向こう側【感想1】

ご無沙汰しております。夏疾風は良いもの。今回は久しぶりにドラマ感想です。

今回はこちら、どん。

 

『ぼくらの勇気 未満都市』 1997年 主演:堂本光一堂本剛

『ぼくらの勇気 未満都市 2017』 2017年

 

嵐メンバーが主演じゃない作品をレビューするのは初めてですが、そこのところそういう趣旨のブログなので、脇の2人に偏りがちな感想になるのはご容赦いただければと思います。以後ネタバレを含みます。

 

 

まずおことわりなのですが、なぜ「感想1」になっているかっていうと、次に感想を書く予定の作品でも未満都市の話がしたいからです。次回は映画「新宿少年探偵団」の感想になります。どうしてもお互いを引き合いに出したかったので……

 

原因不明のパンデミックが発生して成人男女が死に絶え、隔離された町・幕原を舞台に、少年少女が秩序と人権、正義のあり方を模索していくSF作品になります。

SF大好き、特撮大好き、ついでに可哀想な目に遭う男の子が大好きの私はずぅっと気になっていた作品だったのですが、20年後にあたる2017のDVDが出たのもあり、見てみることにしました。

 

いやー、本当に面白かった。大好き。リアルタイムで見られた人いいなーーー!!

毎回山場があって次が気になって、刺激的な酷いシーンもあればお前らそんなことしてる場合なんか??ってぐらいほっこりする場面もあるし、大掛かりな「壁」や「扉」や荒廃した街が映像で見られるのはファンタジーを実写でやる醍醐味だけど同時にちょっとしたチープさやガバガバさは特撮ファン的にはむしろ愛おしいポイントだし、あと登場人物全員顔がいい。すこぶるいい。

 

お話がどうの、という話は2でしようと思うので、1ではキャラクターの話、幕原の子供たちの話をしようと思います。ほんとみんな良い子なんだ……

 

・ヤマト

ほんと、女の子の夢みたいな主人公だな……という身も蓋もない感想。優しくて正義感があって度胸があって、でも素直になれなかったりわりとシャイだったり、フツーにわがままなところもあったりして、んもーそういうところだよぉ!と見ていて何回叫んだか知れない。慣れないことしたりとか戸惑ったりすると無言でそわそわしだすのが大変かわいい。あと髪が尋常じゃないぐらいサラッサラ。まじサラッサラ。
でもそういうヤマトの優しくて正義感があって度胸があるところは、それなりにキイチやユーリを傷つけるんだよなぁ……それでいて完璧超人ではない憎めないところがなおさら。誰も悪くないんだけれども……

 

・タケル

ええオカン。面倒見がよく飄々としているけれど熱い男っていう、こちらも女の子の夢みたいな男の子で、ほんと、一言一言に好きが溢れてしまうんだよなぁ。後半はもうひたすら可哀想で可哀想で、頑張れタケルくん生きてりゃなんかええこともあるさという気持ちでした。ヤマトとタケルのわちゃわちゃは永遠に見ていられる。ヤマトがあれだけ動けたのはタケルがフォロワーにいたからというのがでかいと思うので、ヤマトはもう少し報・連・相をちゃんとすべきだと思います。

 

・キイチ

私のイチオシ。まず顔がいい。びっくりした。小原くんとおっしゃるのですね……覚えた……信じられないぐらいお顔が美しくて画面に映るたび美しさを噛み締めていました。そしてこの恐ろしいぐらい完璧に美しい顔の男の子がこの「キイチ」という役回りだということが本当に素晴らしいんですよね。キイチくんは決して美しい男の子ではないから。
キイチくんは本当に普通の子で、もう普通の代表みたいな子で、腹が立てば八つ当たりもしたくなるしお腹が空けば友人から盗ってしまうぐらいには心が弱いし、報われなければ人に嫉妬したくも恨みたくもなるし、でも悪人ではないから傷ついた人がいたら助けなきゃと思う気持ちも普通にあるわけですよ。でも彼の隣にいる親友はヤマトで、彼はそんな弱いキイチを絶対に見捨てない。命を賭してでも助けてくれる。こっちはお前を恨みたくなる時だってあるのに!!地獄ですよ。なんて美しい地獄なんでしょう。というわけで私はキイチくんとあの雨の中の校庭シーンがもうめちゃくちゃに好きです。

 

・ユーリ

うっ(思い出しダメージ)(涙腺崩壊)本作のヒロインなわけですけど、彼女とヤマトの友情は熱かったですね……私はあの体育館でみんながユーリを前に出し物をするシーンで本当に涙が止まりませんでした。ああいうの反則。すごく悲しい状況の中でみんなが楽しそうに笑ってるみたいな演出に弱いので……本当に良かったなって思うのは、彼女が最期に、周りのみんなを愛して去っていけたことでした。周りは敵ばっかりで、世界は最悪なところだって思いにまみれたまま死ぬなんて、そんなの悲しすぎるじゃないですか。

 

・スズコ

本作ヒロインその2。2017も見ての感想なのですが、確かにスズコとヤマトは付き合っていたけれど、その思いの部分はそれほど噛み合っていなかったんじゃないかなぁと思いました。スズコは確かにヤマトのことを愛していたけれど、ヤマトのほうは、うん、本当の意味での愛とか恋とか、そういったところまで至っていなかったんじゃないかな。高校生の恋愛なんてそんなもんだし、こんな緊急事態にならなければ表面化しないものだと思いますが。なんだかんだスズコちゃんは強い女の子でした。

 

・モリ

モリくんかわいいよモリくん。今回見たかったポイントの一つだったのですが、んまぁびっくりするほど可愛かった。ほっぺふくふく……っていうか「主人公コンビが舞台に足を踏み入れて最初に出会う、静かに街に佇んでいる人物」って完全にこれ謎の美少女の文脈ですやん。というぐらいヒロインみがすごかった。喋り方とかの演技はこれからってところもあるだろうけど、なんていうか「たったいま僕は傷つきました」っていう顔をするのがめちゃくちゃ…上手いなって……
それから2017を見たときに、潤くんが当時に喋り方を寄せているのに感動しました。声は全然違うのに……主人公コンビはそこまでギャップがないのと、あと普段の潤くんの喋り方を学習した後だったので……松本潤ではなく20年後のモリですっていうのを感じて最高でした。

 

・アキラ

私が相葉さんにハマったのは超最近のため、私にとっての相葉さんはそれこそ未満都市2017スタイルはちゃめちゃ美人な黒髪短髪前髪分けで、でもやっぱりはじまりのすがたも見てみたいよねっていうのがメイン動機で見始めたわけです。それで驚いたことなんですけど……なんか……びっくりするぐらい目が死んでる
えっアキラくんすごい目が死んでる。どうしたのなんでそんなに瞳が荒んでるの?何があったの?あっソウダネ 親が死んでるんだもんね……当然かな……当時から顔はお人形さんのように綺麗なのですが、ちょっと垢抜けない感じと栄養状態良くなさそうな風情と死んだ目が相まってなんかすごい。そんな生き物が気づいたらちゃっかりとヤマト陣営に住み着いている様子が可愛かったです。マコトくんにくっついてるのかマコトくんがくっついてるのか微妙なところも大変よろしい。
2017では見慣れたルックスに戻り、目にも光があったので、ああ良かったアキラくんが人間になれたよ……とほっとしたら状況はあれよあれよという間に悪化し割と秒で目が死んだので相葉さんはどうやら目のハイライトをオンオフできるらしい。最初はあらあら大人になっちゃってまぁと思いましたが、水筒掲げて警備員に取り押さえられるあたりとかには当時の狂犬みたいな感じがあってやっぱりこちらも確かにアキラくんなんだなぁとしみじみしました。

 

 

これだけ語れるぐらいみんなに思い入れができちゃうってのはやっぱり良い物語だったってことですよね……面白かった……

というあたりで一回休憩したいと思います。ここまで読んでくださった方々ありがとうございました。近日中に次も!書くので!!たぶん!!

 

【超初心者の】ここしばらくの学習とご報告

ご無沙汰しております。untitledを擦り切れる勢いで見ていたらそろそろ夏疾風、サクでございます。

11月のコンサートから走り続けて8ヶ月ほどが経過しました。

正直なところ、一過性のブームかと思ってた。本当に正直なところ、こんなに同じ熱量で走り続けられると思ってなかった。こわい。嵐こわい。

ということで、なぜこのタイミングなのかは後述しますが、最近考えたこととか、ここしばらくで変わったこととか、今後どうしていきたいとか、そういうことを一旦まとめておこうと思います。お暇な方はおつきあいください。

 

 

・わかる芸能人が増えた

いや今まで知らなすぎたので当たり前なんですけれど、単純にテレビを見る時間が増えたということ、それから嵐の皆様の共演者、ご友人というように、たくさんの人がわかるようになりました。
特に、事務所の先輩後輩の皆さんを一気に覚えられるようになったのはすごく大きい……みんなとてもかっこいいしかわいいし、仲良しエピソードを聞けるのはとても楽しい。知らないジャンルに対してよく言ってしまう言葉ですが「見分けが付かない」状態からだいぶ進歩して顔とお名前がわかる人が増えました。個人的に今気になっているのは上田くんですね。顔がかわいいので(顔がかわいいので)

 

・テレビ番組と雑誌を気にして生きるようになった

テレビ誌って正直ずっと誰が買うんだろうなって思ってたんですけど、すごい……今までテレビジョンをお正月にだけ買う家にいたからわからなかった……うっかり開くと心臓発作を起こしてしまうので気をつけてレジに持っていくようにしています。あと朝のワイドショーを全く見ない人間だったので、そもそもこんなにいろいろあるんだ…あとCM放映始まるとかでも出るんだ…とかいう発見がいろいろありました。また、このたびブラックペアンの制作発表から放映終了までを経験することができたので、雑誌が出るとかワイドショーに出るとか番宣に呼ばれるとか、そういうドラマに付随してくる諸々の流れも知ることができました。万全の態勢で10月を待てそうです。楽しみ。

 

 ・安心してオタクができるようになった

私は二次元、それも特に少年漫画系や、日曜の朝に世界を守ったりする、そういうジャンルのオタクでした。ご理解いただけるかわからないのですが、こういった界隈における我々女性というのは、消費や愛の深さに関わらず肩身が狭いものです。「お前は正当な客ではない」というのを仲間であるはずの周囲のファンや、時には制作サイドそのものから投げつけられることが珍しくない場所です。そういう場所で生きてきた人間にとって、「貴方がお客様です」と言ってもらえる世界というのはけっこう新鮮で、そしてこんなにも安心感を与えてくれるものなのかということを知りました。私が客だ!と胸を張れる世界。逆に、私も誰かの趣味を年齢や性別でとやかく言いたくはないなとも思いました。愛で勝負だ。

 

 

・異文化を学習できた

ジャンルのファンの文化というのは傍から見ていてもわからないもので、飛び込んでみてわかったことがたくさんありました。同じものを見ていても、人によって、その人の推しによって年齢によって推し方によって好みによって、見えている世界は全然違います。さながら異文化交流のノリで、いろんな価値観の存在を知ることができました。

例えばなんですけれど、二次元に推しがいる人間は、推しがこちらを認知することも、推しに感謝をしてもらうこともありません。当たり前の話ですが。そのスタンスで3次元の人間を推しているせいだと思うのですが、私には、ファンである自分が推しに歓迎されるという図式があまり馴染めません。だって、自分のことを四六時中考えて追いかけて一挙手一投足を気にして動画をコマ送りして、幻想を着せて事情も知らずに勝手な意見言って勝手に期待したり病んだりしてる自分が名前も知らない人間の集団なんて気持ち悪いに決まってるじゃないですか。そう思ってしまう。だからいつも、どうしてこの人たちは私にありがとうと言ってくれるのかとても不思議な気持ちになります。うーん文字にするとなんだかヒドい男と付き合っていた女のようだな……だからそういう思考に陥らないファンの方を見かけると、おおお異文化だ……という気持ちになります。
あっ前述の問題については、アーティストや俳優さんなんかは、我々が落としたお金で活動しているにも関わらずウケるためにやる音楽なんかヤボだぜ、みたいなニュアンスで来ることがあるんですが、アイドルはそのへんがきちんと商業主義的でわかりやすくていいな~とも思っています。難しいね。個人的に嵐さんはこちらとの距離感がほどほどで好きです。

 

・知らないジャンルに対しての節度を学べた

全く予想していなかったところに落っこちたことで、「現時点で興味のないジャンルに対してとやかく意見を述べるべきではない」ということを骨身にしみて学びました。なぜならそれで悲しむ人がいるのは当然として置いておいて、万が一、自分がそのジャンルに落ちることになった際に過去の自分に殺されて死ぬからです。わはははは。危ないところだったぜ……人間どんなタイミングでそれが来るかわからないし、そうでなくても、自分がよく知った上で嫌いなものを述べるならともかく、よくわからないものをよくわからないままで雰囲気でdisるのはやめよう。私の萌えは誰かの萎え、私の萎えは誰かの萌え。そして私の萎えは明日の私の萌えになるかもしれない。自戒。

 

・愛は叫びたい時に叫んでおくべきだということを学べた

振り返ってみればここ8ヶ月でいろいろなことがありました。熱愛報道、結婚、活動再開、消極的脱退、積極的脱退、活動自粛、留学、手術……
えっ?これって普通のペース?わかんないんですけどそのへんどうなんですか?もう役満じゃん。なんかもうのっけからケーススタディを学びすぎていてもう怖いものはないメンタルなんですが。半年にして。そのせいもあって、見たいものは今見て、ほしいものには今お金を払って、書きたいものや描きたいものは書いて、愛は叫んでおくべきだなって思いました。
全然関係ないですが、先日初めて某女子アイドルの選挙に清き一票を投じてきました。一票だけだけど……なんとなくこう、ただ○○だったら○○ちゃんがかわいいと思うんだよね、みたいなのだけじゃなく、私はあの子を応援したという証明みたいなものが自分の中にほしいなと思ってしまったので。それはその子が卒業してしまったり不慮の何かでいなくなってしまったりしてからではできないし、私が興味を失ってしまってもできない、今だけしか騒げないお祭りなんだなぁと思ったので。私の一票は4位の彼女の得票にそっと含まれることになりましたが(私は男女問わずスタイルがよく顔の小さい頑張り屋さんが大好きです)商法がどうのってのは置いておいてこのときめきを覚えておきたいなと思いました。

 

そしてそれに関連して最後にご報告です。先日、嵐のファミリークラブに入会いたしました。

これだけ楽しんでおいて今更かよ…って気もしますが11月からここまで熱が続いてしまったこと、まだ冷める(覚める?)予定はなさそうなこと、またあのコンサートに行きたいと思ってしまったこと、何より今しかないこの時に、今の自分への証明がほしいと思ってしまったために、入会させていただきました。「好き」とか「消費している」とかもそれはそれで一つの形だけれど、ファンクラブっていうとなんとなく「応援している」みたいなニュアンスが出る気がする。会員番号、217万代。こわい。通帳に燦然と輝く入金先、嵐。こいつぁ遠いところまで来ちまったぜ……と今更のように。

清く正しくひっそりと、自分なりに楽しんでいけたらいいなぁと思っています。今後共よろしくお願いいたします。